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zoom RSS ヘレン(ギリシア人)、または人と神(未完)(S)

<<   作成日時 : 2008/04/12 23:13   >>

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 この世でもっとも美しいものが見たい、真実が知りたい。

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            オイディプス王。Wikipediaより転載。

 私は22才の時、ゲーテの「ファウスト」という作品に出会いました。私はこの作品と出会ったことによって、文学とはどのようなものであるのかを初めて理解しました。そしてそれと同時に、古代ギリシアの“美”に目覚めたのです。

 私がこの時「ファウスト」から得た古代ギリシアの美しく崇高なイメージは、そののち何十年にもわたってギリシアの古典を読み続けても変わることはありませんでした。

 すなわち私は、ギリシアとの出会いの最初の瞬間に、ほぼ完全に、その“美”と、その“本質”を、ほとんど本能的に理解していたのです。

 その後私は、ギリシアの古典を中心にヨーロッパの古典を読みあさり、主なものはほぼ読みつくしました。もちろん、翻訳でですが。

 また、ヨーロッパ文明の対極にある日本の文化をも知るために、「枕草子」や「今昔物語集」などを原文で読みました。

 そのようにして、多くの書物を読み、人生において辛酸をなめつくし、年齢を重ねるうちに、物事の真相が見えるようになったのです。この世の実相をつかんだのです。

 ところで、真実を理解するには、以下の三つの条件をクリアすることが必要です。

 1.世界の古典文学をたくさん読むこと。
 2.人生が極端に不幸であること。
 3.ある程度の年齢に達していること。

 僕はの人生は不幸なことに、以上三つの条件を十分過ぎるくらい満たしていました。

 そうして、この世の真相をつかむにいたったのです。


 それでは、この世の真相とはなんなのか。

 それは、“この世は神が主催する劇場である”ということです。

 すなわち、われわれ人間をはじめ、この世に存在するすべての生き物たちは、神の劇場の役者にすぎないのです。

 人間を中心に話をすすめていくと、われわれ人間はすべて神から割り振られた“役”を演じているのです。

 ヒトラーはヒトラーの役を演じ、マザー・テレサはマザー・テレサの役を演じました。

 どちらが善だとか、悪だとかということは、われわれ人間が自分たちの都合でかってにつけたレッテルにすぎません。

 神にとっては、ヒトラーもマザー・テレサも、どちらも必要な存在だったのです。

 われわれの好悪の感情や悲喜などは、神にはかかわりのないことなのです。


 それでは、われわれはこの神の作ったこの劇場で、ただたんたんと生の営みを続けていればよいのでしょうか。

 自然に、“ただあるようにして”あればよいのでしょうか。

 それは違います。それでは動物と同じです。

 動物の世界は、強い者、あるいは若い者の天下です。弱い者、老いた者はただ滅びゆくのみです。

 しかし、人間は違います。人間は弱者をいたわる気持ちをもっています。自然の流れにさからってでも、弱者を守ろうとします。時には自らを犠牲にしても、愛する者を救おうとします。

 そうです。愛なんです。人間は人を愛する心をもっているのです。人間は“愛”をもっているのです!

 この“愛”は、人間にとって強力な武器となりました。人間はその“愛”ゆえに、弱い者、愛する者を守ろうと、必死になってありとあらゆる工夫をしました。それが文明を発達させる原動力となったのです。

 そのままではどんな動物にも勝てない人間は、“愛”ゆえにその知性を発達させ、すべての生き物の頂点にまでのぼりつめたのです。

 この“愛”ゆえの自然に対する反逆は、すなわち神に対する反逆にほかなりません。

 人間は、神(=自然、運命)に対して反旗をひるがえし、自らの独自の価値観を築きあげたのです。その築き上げられた価値観こそは、哲学と言われるものだったのです。

 善、美、正義、徳、節制

 これらの観念は、人間の価値観、すなわち哲学が生み出した理念なのです。

 自然の中には存在しません。つまり人間の心の中だけに存在し、それ以外の場所、神の劇場には存在しないのです。


 これら神に対立する人間という図式を最初に意識したのはギリシア人(ヘレン)でした。

 彼らの、プロメーテウスの神話やオイディプス王の物語にその意志が明確に読みとれます。

 彼らはそのすぐれた知性により、自然よりも、神よりも人間を優先するという発想を獲得しました。

 それは人間中心の物の見方、人間主義です。

 この人間主義は、やがてヒューマニズム(人道主義)やデモクラシー(民主主義)へと発展していきました。

 そして、ギリシアの文明は、人類の文明の基礎となり世界標準となったのです。


 ここで神と対決している、ひとりの英雄(私はそう思っている)を紹介したいと思います。

 彼はアメリカ人で、囚人です。

 彼は何人もの女性を殺害しました。

 その手口は、猟奇的なものでした。

 彼は死刑を宣告されようとしていますが、それに対しては死刑反対論者たちが猛反対しています。

 司法当局も、死刑のそのものの是非をめぐってゆらいでいるようです。

 しかし彼は、毅然として死刑になることを希望しました。

 理由は、“自分が生きているかぎり、必ずまた人を殺すことになるだろう”というものでした。

 おそらく彼の言うことは正しいでしょう。

 彼はまた人を殺すでしょう。

 殺人は彼の人生のコンセプトであり、人を殺すという行為は彼のアイデンティティであるからです。

 すなわち彼は、人を殺すために生まれてきたのであり、言わば神が人間に対して送ってよこした刺客なのです。

 彼はそれを理解していました。

 それだからこそ、神に反旗をひるがえし、人を殺すことを拒絶したのです。

 しかし、“生きること=人を殺すこと”である彼が殺人をやめるということは、彼自身が死ぬことにほかなりませんでした。

 そして彼は死を選びました。

 なぜだと思いますか?

 私は彼の心に“愛”があったからだと思います。

 美しく強い“愛”が。



 古代ギリシアの有名な詩に、次のようなものがあります。

   (神は)怯者を惜しみ、勇者を惜しまず



 ところで、俺のおふくろ、神が連れていこうとしてるようだけど、俺は絶対にわたさないぞ。命にかけても守る。



 わが親愛なる、ソークラテースよ、プラトーンよ、ハムレットよ、マンフレッドよ、和泉式部よ、菅原孝標女よ、藤原季縄よ、今昔物語集の編者よ、松尾芭蕉よ、・・・・・・・・・・誠実なる君たちよ、わが魂の友よ!



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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
ギリシアやヨーロッパの古典をほぼ読み尽くしたなんて凄いですね。私なんて週刊誌しか読みません。神様は慈悲深い存在だと思いますよ。旅人さんのように過酷な運命を好転させようと懸命に努力される方には必ず手を差し伸べてくださいます。「Heaven Helps Those Who Help Themselves.(天は自ら助くる者を助く。)」って言うじゃないですか。
居士
2008/04/13 23:15
 居士さん、コメントありがとうございます。
 人間は誰しもみな幸せになりたいと思っているし、それなりに努力していると思います。
ただ、結果はご存じのように人それぞれです。
 僕はこの世の中は、全員幸せになったら成り立たないと考えています。芝居を見ればあきらかなように、すべて善人ばかりでは話として成立しません。生もあれば死もあるように、すべてのものには対極を為すものが必要なんです。また、世の中には無駄なものというものもないと思います。悪人や不幸な人間も必要なんです。
 普段意識することはないのですが、僕たちが生きていくうえでは、その裏でたくさんの人や生き物たちが犠牲になっています。この世の中には犠牲になるものが必要です。それが自然界(神の創造した世界)の掟なんです。次に続く
旅人
2008/04/14 00:57
 前からの続き
 ところで、自然界の唯一の法則は、“弱肉強食”です。しかし、人間は愛の心をもって、お互いの排他性を克服しました。僕はこれを、自然(神の世界)への反乱であると位置づけています。愛の心は、自然が要求する犠牲を最小限にしようと努力しているのです。これこそ人間のすばらしさです。
 居士さん、僕の主張することについて、論理に矛盾があったり、整合性に欠けていることに気がつかれたら、どんどん指摘してください。また、居士さんが抱かれる自然観、神観で僕のそれをくつ返すことができると判断された場合は、その意見を僕にぶつけてください。
 まとまりのない文章になってしまいましたが、本コメントがブログ内容の補足となり、居士さんをはじめ、その他の読者の方々のご理解に資するものとなれば幸いです。
旅人
2008/04/14 00:59
私は宿命は神が与えてくれたもの…そして誰しもお役目を持って産まれて来ると思っています。宿命は素材で有り運命は調理と思えば分かりやすかな…私はこの調理方法にこだわります。自分自身をいかに楽しくそしてらしく生きるか…私のテーマです(^^)神が一つだけ誤算をしたのが人間の持つ愛情だと言われてますよね。人を思う気持ち、人の思いの力は宿命さえ変えてしまう…私は矛盾していますが、それも強く信じています。
アレックス
2008/04/17 07:32
 アレックスさん、コメントありがとうございます。
 僕が走り屋としてのブログを書く一方で、このようなブログを書くことに、とまどわれる読者の方もいらっしゃると思います。しかし、僕は、“知性”と“野生”のバランスのとれた人間を理想としていますので、どちらの顔もうそいつわりのない僕の素顔なんです。

 人間は自らの不運には耐えられても、愛する者の不運に耐えるのはむずかしいものです。思いやりの心は、人間の原点ですから。
 人は愛する者の不運に遭遇すると、“愛”の力で、なんとか運命を逆転させたいと願うものですが、最近僕は、そのむずかしさを痛感しています。“愛の奇跡”は確かに実際に起こりうるものだと思いますが、それはあくまでもレアケースです。多くの場合は、決められた定めに従うしかないのです。残念ですが、これが現実です。
 しかし、最終的な結果が出る前に、100%希望を捨ててしまうというのはよくないですよね。僕も気持ちをもっと強く持たなければと思います。
旅人
2008/04/17 12:22
初めまして。KSR110を愛する♀ライダーです。
私は、2年前、突然のくも膜下出血で、たった3日で母を失いました。倒れたときには、すでに脳死状態にあった母に、何一つ看病して上げられなかった苦しみに、今も苛まれます。
本当に大変と思いますが、どうかお母様の看病、頑張って下さいね。
応援しています!!
コウノトリ
2008/04/17 19:51
 コウノトリさん、コメントありがとうございます。
 愛する人が突然亡くなるという事態は、僕には想像もできません。おそらく言葉も出ないほど、涙も出ないほどの衝撃でしょうね。心からお気の毒に思います。コウノトリさんのお心は、今は落ち着いていらっしゃるのでしょうか。
 僕の場合は、看病できる期間があるだけ幸せですね。ただ、母の介護は、肉体面よりも精神面できついです。僕は母と二人暮らしで、親友同士のように何でもわかり合える仲でした。母は僕よりずっとしっかりした人でした。それが、ほんの2ヵ月前強度の腰痛で、寝たきりになったと思ったら、認知症のような症状が出てきてしまったのです。僕が愛し、尊敬してやまない母が、今はだだっ子のようになってしまいました。夜間譫妄(やかんせんもう)というらしいのですが、夜になると、子供のようにききわけがなくなります。まるで、童女のようになってしまった母を、見るに忍びないです。今まで僕を支えていてくれた世界が、音を立てて崩壊していくのを見る思いです。しかし、母にとって頼りになるのは僕だけなので、何があっても母を守りぬく覚悟でがんばりたいと思います。
旅人
2008/04/17 22:59

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