夢と冒険とロマン

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zoom RSS 旅、そして“夢と冒険とロマン”

<<   作成日時 : 2008/05/06 12:45   >>

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 箱根・乙女峠にて。背景にうっすらと富士山が見える。オートバイに乗り始めてまもない頃で、見るものすべてに感動していた。

 僕のブログ名、“夢と冒険とロマン”について、みなさんのなかには、“嘘くさい言葉だ”とお思いの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 確かに現実の生活において、そのような実感をもつ機会などあまりないかもしれません。

 世の中どこを見渡しても、みな生きるのに汲々としていて、

 生活を楽しむ余裕すらない。

 ただただ、現状の厳しさだけに心をうばわれ、未来へ思いをはせることもできない。

 必要に迫られ、機械的に繰り返される味気ない日々。

 一部の恵まれた人を除き、大多数の人々が不本意ながら従っている、このような生活状況において、

 いったいどこに、“夢”だとか“冒険”だとか“ロマン”だとかが入り込む余地があるのか。

 このようにお考えになる方も多いと思います。


 しかし、本当にそうなのでしょうか?

 “夢”だとか“冒険”だとか“ロマン”だとかは、一部の幸運な人々にのみ許されたぜいたくに過ぎないのでしょうか?

 ごく普通の人が、そのような心ときめく経験なり体験なりをすることは不可能なのでしょうか?


 この問題を探るため、まず、いったいどんな経験や体験をすれば、“冒険”だとか“ロマン”だとかを味わったと言えるのか、そのこと自体を検証してみたいと思います。

 最初に、一般的に“冒険”だとか“ロマン”だとかと思われていることを、いくつか上げてみたいと思います。

 “サハラ砂漠を車で横断”、“太平洋をヨットで横断”、“パリ・ダカラリー参戦”、“スペースシャトルで宇宙旅行”等々。

 しかし、これらは本当に普通思われているように、“冒険”だとか“ロマン”だとかと言えるものなのでしょうか?

 結論から言うと、僕はこれらは、いずれもそう(“冒険”や“ロマン”)であるし、また、そうでないと考えます。

 なぜかというと、ここに記したものはすべて、われわれの日常生活からはほど遠い、けた違いにスケールの大きな話ばかりで、そのことゆえにそのように(“冒険”だとか“ロマン”だとかと)思われているふしがあるのですが、

 僕が思うに、“冒険”だとか“ロマン”だとかと言われるものは、そのような行動範囲の広さとか、滞在時間の長さ、あるいは、遂行の困難さというようなものによって成り立つ概念ではなく、そのようなものとは無関係なものだからです。

 僕はそれ(“冒険”や“ロマン”)を成り立たせるのは、もっと内面的なものだと思うのです。


 僕は、現役のライダーだった頃よく思ったものです。

 「渋谷から新宿まで、明治通りを15分走っただけでも、たったそれだけでも“旅”なんだ」と。

 オートバイという乗り物は、とても感性を豊かにしてくれます。

 目的もなく、ただ走るだけで楽しいし、

 走ってるあいだに、たくさんの出会いがあるのです。

 ほんのちょっとした距離を走るだけでも、

 ほんのわずかの時間でも、

 景色を楽しみ、ひとの表情を読み、

 風を感じ、自然の息吹にふれられます。

 そうして、心が動き、

 感動が生まれ、

 ロマンを感じるのです。


 こういったことから考えても、僕は次のように言ってさしつかえないと思うのです。

 すなわち、「“冒険”だとか“ロマン”だとかと言われるものは、その人の“行動の内容”によって決まるのではなく、その人の“心のもちよう”によって決まるのだ」と。

 鈍感な人だったら、例え月世界に行ったって、なんの驚きも感じないでしょうし、なんら特別な感慨をもつこともないでしょう。

 その人にとっては、“月世界に行った”ということは、“旅”をしたということではなく、単に“場所を移動した”ということに過ぎないのですから。

 こういった鈍感で物事に無関心な人々に対して、

 感受性の強い人なら、近所を10分間散歩しただけでも、“旅”をし“ロマン”を味わうということができるのです。

 彼の豊かな想像力が、たったそれだけのことからでも、多くのことを感じとることを可能にしているからです。


 人それぞれ、与えられた運命はまちまちです。

 世界中を股にかけて活躍する人もいれば、

 ほとんど家から出ずに、同じ所で一生を終える人もいます。

 健康な人もいれば、病弱な人もいる。

 マルチな才能を発揮する人もいれば、心身に多くの障害を抱えている人もいる。

 好むと好まざるにかかわらず、

 人はもって生まれた運や、生来の諸条件に拘束されざるを得ません。

 肉体的、物質的なことは動かしようがないのです。


 しかし、幸いにして心が健康であれば、魂が自由であれば、

 いかなる肉体的かつ物質的な制約にも拘束されることはありません。

 感受性が強く、想像力が豊かで、ピュアな精神の持ち主は、

 例え肉体が全身マヒによって寝たきりの生活をおくっていても、

 その豊かな想像力を駆使して、

 たくさんの旅をし、多くの感動を得、果てしないロマンに心をひたすことができるのです。


 最後に、これまで僕が述べてきたことを、

 わずか数行の簡潔な言葉で、

 完璧に表現している人物がいます。

 彼とその言葉を紹介して、

 この小文の結びとしたいと思います。



 「この椅子、このスタンドをかなり永い間じっと見つめていると、旅行しないでも旅行がはじまって、世界がふたたび新しくなる。」

          ウージェーヌ・イヨネスコ(1909〜1994年、フランスの劇作家)



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