夢と冒険とロマン

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zoom RSS 忘れられないこと

<<   作成日時 : 2010/10/30 20:35   >>

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自分にとって忘れられない出来事を、いくつか記してみました。


10月24日・日曜日、

どこといって行きたいところもないし、

天気もよくないということで、

久しぶりに、バイク用品店ナップスの駐車場に店をかまえる出店で、

(店が出てたら)カレーでも食べようということになりました。


多摩沿線道路から、

二子玉川の橋を渡ってナップスに向かいます。


ナップスに着くと、

運よく店が出てたので、

さっそくカレー(400円)を注文。

愛車のシートに横座りして食べました。

画像


画像


食べてる最中、

珍しいオートバイが駐車場に入って来て、

僕のすぐ近くに駐車しました。

興味を惹かれた僕は、

カレーを食べ終わると、すぐに検分にいきました。


これがそのオートバイです。

画像


画像


よくわからないんですけど、

このタイプで1000ccってあまり見ないですね。

エンブレムの"R"が黒バッジ。

これって・・・

ローレプの本物?


食後は丸子橋まで多摩川沿いを流すことに。


・・・と思ったけど、


途中で気が変わって目黒通りに入っちゃいました。

以前愛読し、編集部にも何度か行ったことのある、

レディスバイク誌(’90年代末に廃刊)の出版元、

エルビーマガジン社が今どうなってるか、

急に知りたくなっちゃったんです。


目黒通りを都立大学の交差点で左折すると、

まもなく、エルビーマガジン社の建物があった場所にたどり着きました。

そこにはもはや当時の建物はなく、

大きなマンションが建っていました。

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このマンションの建っていた場所に、かつてはエルビーマガジン社の建物があった。

往時はこんなでした。

愛車カワサキZZR−250で行った時の写真です。

今でも使用しているレディスバイクのバンダナを、

目立つように広げてます。 ( ^ ^;)ゞ

画像

写真上部の黒い四角い窓の左側についている銀色のプレートが、エルビーマガジン社の表札です。1996年7月14日撮影。


レディスバイク編集部。
(1992年テレビ東京にて放送「YAMAHA ON & OFF」より)


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       レディスバイク編集部。1992年当時。

まさにこの部屋で、

“夢と冒険とロマン”を満載した雑誌が作られて、

日本全国のライダーを感動させたんです。

今はその建物自体、影も形もありませんが。


お世話になった(迷惑をかけた)編集部員のMさんです。

彼女は編集部員になる前看護師さんをしていました。

彼女の言うところによると、

女性ライダーには、

看護師さん、保母さん、学校の教師などが多いそうです。

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       レディスバイク編集部員のMさん。同上。

この当時編集部員としてここで働いていた女性が、

この数年後、

オートバイで高速道路を走行中に事故で亡くなりました。

昔はオートバイ事故で亡くなる人、

今より格段に多かったです。


ちなみに、

編集部のあった建物の前には、

タレントのタモリさんの家がありました。

現在も建っています。

画像

       タモリ邸。

帰る途中、

世田谷区の等々力(とどろき)あたりで、突然の雨に見舞われました。

予報では雨は夜になってからのはずだったのに。

けっこう強く降ってきたので、

住宅街の道路はしに愛車を停めて、

急いでカッパに着替えました。

出かける時、

近いからカッパを置いていこうかと迷ったんですが、

念のため持ってきてよかったです。

すれ違うライダーたちはみなずぶ濡れで、

とってもつらそうでした。


それにしても、

カッパを着て走るなんて何年ぶりだろう。

おそらく、ZZR−250に乗っていた、

12〜3年前以来だと思います。


自宅に着くと、

玄関でびしょびしょのカッパを脱ぎ、

部屋着に着替えました。

カッパは以前にそうしていたように、

軽く拭いてから風呂場の浴槽のふちにかけました。

画像

       旅人家の浴室。

前回は、

といっても、前述のように10数年も前の話ですが、

母が玄関で、

僕が着たままの状態でカッパを拭いてくれ、

脱いだあとは風呂場まで持っていってくれたんですが。

今は帰ってきても誰もいません。


話は変わりますが、

僕は、西洋占星術で災難の星と言われている土星が、

ホロスコープ上のある位置にくると、

不整脈がひどくなります。

これは、ん十年に一度のことですし、

不整脈自体“期外収縮”といって、

多くの人にある、

あまり心配のいらないものなんですが。

しかし、それが始まると気持ちが悪くて、

安静にせずにはいられなくなります。

前回のそれは2007年の5月に起きました。

その時は、2日に1回くらい不整脈(脈が飛ぶ、またはぬける)が起き、

1〜2時間安静にしていると直るという状態でした。

このような状態はほぼ1ヵ月間続きました。


困ったのは、

母を病院に連れていく日が、

その期間にあったことです。

母は、当時2ヵ月に一度病院に通っていました。

その際は、

すでにあまり歩けなくなっていた母を車椅子に乗せ、

広い総合病院の中を、

あちこち走り回らなければなりませんでした。

不整脈があるとこれはむずかしい。

椅子に腰かけて仕事をする分にはなんら問題ないんですが、

動き回るとなるとちょっとつらいです。


当日は、祈るような気持ちで母を病院に連れていきました。

しかし、ありがたいことに、

いろいろな検査だのなんだので病院中を動き回っても、

その日にかぎって不整脈は起こりませんでした。


母を通院させるというのは、

僕にとって2ヵ月に一度の大役でしたが、

同時に、

愛する人のお世話をしてあげられる幸せな時でもあったのです。


その日の夜のことです。

ほっとした気持ちで、幸福感にひたりつつ、

自宅でテレビを見ていると、

画面に美しい黄色いバラが映し出され、

心地よい音楽も流れてきました。

バラが好きな僕は、

その映像を見て、

幸福感が倍増したように思えました。

そして、美しい黄色いバラたちが、

その日の僕のがんばりを、

称えてくれているような気がしました。


黄色いバラたちよ・・・君たちはなんて美しいんだ!!

画像

       その時の映像を録画し、それを静止画にしたもの。

画像

       同上。

黄色いバラや黄色いリボンは、

世界的に、

愛する人の無事帰還を祈る際のシンボルとされています。

僕の母はもう帰ってきませんが。

            *        *        *

大昔の話になりますが、

これも忘れられない出来事です。

1989年12月2日・土曜日、

僕はツーリングで相模湖方面をまわり、

帰りに津久井湖に立ち寄りました。

そして、そこの観光センター2階の食堂で、

夕食をとることにしたんです。

2階に上がると客は僕ひとりでした。

画像

津久井湖観光センター。愛車ヤマハFZR−250がポツンと1台停まってる。^^
1989年12月2日撮影。


僕は大好物のヒレカツ定食を注文して、

それをおいしくいただいたのですが、

そのあいだずっと、

そこでたったひとりウエートレスとして働く、

若くてきれいな女性が気になっていました。

彼女は、僕が会計をすませて帰る時、


“また、お待ちしています”


と、声をかけてくれました。

僕は、その時、彼女が特別に愛想よくしてくれたように感じました。

で、それがうれしかったのと、

そこのヒレカツがすごくおいしかったのとで、

次の日(日曜日)もまたツーリング(休みの日には必ず行ってました)帰りに、

その食堂に立ち寄ってみたんです。

ところが、

行ってみると、

ドアにカギがかかって閉鎖しているような状態でした。

中はガランとして人気がまったくありません。

“日曜日に休むなんておかしいな”

僕は不審に思いながら引き返しました。

その後何度も足を運んだんですが、

いつも同じ状態で、

そのドアは施錠されたままでした。

そして、二度と開くことはなかったのです。


そうです、

廃業しちゃったんです。

たぶん、僕が最後の客だったんだと思います。

画像

       食堂内部。左端にウエートレスさんが。撮影日同上。

画像

       UP。

画像

       当時の旅人。1989年11月撮影。

でも・・・

だとしたら、

あの、
“また、お待ちしています”てのは、

いったいなんだったんだよ!!


            *        *        *

僕にとって最も忘れられない出来事は、

2008年8月の母親の死です。

それと、そのあとに起こった一連の不幸な出来事。

ブログには何度も書いてきましたが、

今の僕の原点として、

再確認する意味でもう一度書かせてもらいます。


●2008年8月3日、

 母永眠す。


●その通夜の日、

斎場に向かおうと家を出たところ、

数メートル歩いたところで靴の底が抜けた。

引き返して別の靴に履き替え、

再び歩き始めたところ、

その靴もまた底が抜けてしまった。

3足目の靴でやっと出発することができた。

この出来事で、

僕は、自分が特別な運命の持ち主なんだと知った。

もちろん、悪い意味での。


●49日の納骨の日には、

通常より1時間余裕をみて家を出たにもかかわらず、

中央高速で事故が発生し、

20キロ4時間という大渋滞に巻き込まれた。

式の始まる時間が過ぎてもビクとも動かない高速道路上で、

僕は天を呪った。

結局、喪主である僕だけが、

2時間近くも遅刻してしまった。

ほかの人は、

その事故の影響をほとんど受けなかった!!


●その年の9月半ば、

庭に生えた雑草をとっていたら、

腰を傷めてしまった。

じっとしていても痛くてどうにもならなかった。

おかげで草とりができなくなり、

庭は草の生え放題。

その激しい腰痛は半年以上続いた。


●同9月下旬には、

尿管結石の激痛に襲われ七転八倒した。

それでも、誰も助けてくれる人がいないので、

自分で救急車を呼び、

家の中の始末も全部してから救急車に乗った。


これらの出来事により、

僕は、“運命に生きることを否定されている”

と確信するにいたった。

現在もその思いに変わりはない。


            *        *        *

そんな僕ですが、

ちょっと気分が明るくなる時もあります。

それは美しい歌に出会った時。


最近、AKB48の歌にはまってます。

彼女たちの歌にはすぐれたものがいっぱいある。

中でも、「ラッキーセブン」は素晴らしい!

聴いていて勇気づけられます。

パソコンで聴くとそうでもないのですが、

カーステレオなどの大きなスピーカーで聴くと、

ドンドンっていう感じで、

低音の迫力がすごい!

テンションが上がります。

画像

       ラッキーセブンのPVの一場面。

この歌のテーマは、

“勇気はラッキーセブン、幸運のカード”という歌詞の言葉にあると思います。

そこで、この言葉の意味を僕なりに解釈すると、

次のようになります。、


一般に幸運というものは、

偶然天から降ってくるもののように考えられがちですが、

この歌の示すところでは、

それとは真反対になるのです。

すなわち、

幸運を得るためには、

“果報は寝て待て”とか、

“タナからボタ餅”とかいうような、

消極的な姿勢ではなく、

目の前に立ちはだかる試練や困難に、

“勇気”を以て挑戦し、

それを打ち破って、

勝ち取らなければならないというのです。

だからこそ、

幸運を獲得するにあたっては、

“勇気”こそ、そのカギとなるのであり、

切り札となるのです。

つまり、“勇気”は“幸運のカード”であるというわけです。


歌詞も曲もPVも素敵ですので、

ぜひご覧になってみてください。





自分、

世の中には、

どんなに努力してもどうにもならないことがあるのを知ってます。

人が生きていくということは、

そんなに単純なことでも、

きれいごとばかりでもないということを、

知ってます。

でも、こういうものは、

こういうもので、

美しいものだと思っています。


☆☆☆ラッキーセブンの歌詞☆☆☆

目の前にそびえる
悩みの壁に
そこで立ち止まったら
影になるだけ

今はつらくても
逃げてはいけない
背を向けるな!
あきらめるな!
挑戦するんだ

勇気はラッキーセブン
幸運のカード
どんな試練だって
乗り越えられるんだ
勇気はラッキーセブン
君ならできる
神が味方になる
ラッキーセブン

今日までいくつもの
失敗をしたか?
遠回りした分だけ
助走がついた

もし引き返せば
後悔するだろう
弱音を吐くな!
怖じ気づくな!
もう一度 頑張れ!

希望の星になれ!
自信の切り札
広いこの世界で
誰より輝くんだ!
希望の星になれ!
君なら勝てる
奇跡 起こすような
ラッキーセブン!

人は誰もみな
生まれ変われるよ
今 この瞬間(とき)
前へ進め!
ゲームは始まる

勇気はラッキーセブン
幸運のカード
どんな試練だって
乗り越えられるんだ
勇気はラッキーセブン
君ならできる
神が味方になる
ラッキーセブン



最後に、

YouTubeの僕のチャンネルに、

ある方から寄せていただいたコメントを紹介します。

そして、それをそのままみなさんにお贈りします。



All the best for you my friend...hugs

友よ、あなたにとってすべてが最良でありますように...抱擁



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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは、バイクと共にいろんな思い出があるものですね。自分もいろんな思い出をつくっていければと思います。
FZR、これは2KR?3HXですね。僕の乗っているプロジェクターヘッドライトの3LN3よりも前の型ですね。
NSRにも乗られていたようなのでFZRの加速は多少物足りない感はあったのでしょうか?
レディスバイクの編集部に出入りされてたんですか。女性ライダーのカッコよさは解ります。ついつい見とれてしまいます。自分にも女性では珍しい走り屋の知り合いがいますがなんともいえない華麗さとカッコよさがあります。もっともっと増えて欲しいなと思います。
taka250R
2010/11/01 09:12
taka250Rさん、こんばんわ。

僕のFZR−250は1988年式です。
この’88は’89に較べて評価がイマイチでした。
確かにスロットルのレスポンスはよくなかったです。
でも、ライポジが楽でツーリングには最適でした。

FZRは、1991年にスリ抜け中の事故で全損廃車になってしまい、そのあとにNSRを買ったので、NSRと比較してFZRに不満をもつということはありませんでした。

僕は、レディスバイクの建物の中には入ったことがありません。写真は、テレビの録画映像をデジカメで撮ったものなんです。
ただ、投稿が何度か採用された関係で、数回編集部を訪れたことがあります。
僕は、レディスバイク誌のツーリングレポートが大好きでした。
みな文章がうまく、内容は夢と冒険とロマンにあふれていました。
全盛期(1987〜8年)の同誌を今も大切に保管しています。
続く
旅人
2010/11/02 00:35
20年くらい前は、女性だけの走り屋チームがあったり、生膝(なまひざ)擦って膝から血を流している女性の走り屋などがいたりして、元気な女性ライダーが多かったです。
で、今はてっきり走り屋は消滅したと思ってましたが・・・
taka250Rさんから女性の走り屋のことを聴いてびっくりです。
彼女たちには、たのもしさを感じるとともに、無理せずマイペースで走って欲しいと思います。

同感です。
女性ライダーが増えれば男性ライダーも増え、ライダー人口が多くなってオートバイ界が盛り上がりますから。

人はいずれオートバイを降りなければなりません。
その時までに、オートバイでたくさん旅をして、いろいろな感動や出会いを経験してください。
それらの思い出はtaka250Rさんにとって、きっと宝物になると思います。
旅人
2010/11/02 00:53
旅人さん、コンニチワ。
人にはそれぞれ「忘れられない思い出」があるものですね。
実は、旅人さんが愛読されていた雑誌の出版社があったという「都立大」は、我が家が現在の状況に至る直前まで住んでいた場所なので、殊のほか懐かしく、感慨深く拝見しました。
尤も、我が家はタモリ邸よりずっと目黒寄りの、東急東横線の「都立大」の駅から数分の住宅街(平町)でしたが・・
少なくとも1998年前後までは、あの界隈は、我が家の生活圏内だったんですよ。(あ〜懐かしい)
それにしても、「黄色のバラ」の映像共々、日々心に残る事柄をキチンと残されている旅人さんって、やっぱり思い出を大切にする几帳面な性格なんだろうな〜と、いつもながら感心しちゃいました。
黄色は愛する人の無事帰還を願うシンボル・・
そう言えば、かの有名な「幸せの黄色いハンカチ」の例のシーンを思い出しても、確かにおっしゃる通りかもしれませんね〜。
せっかく帰宅しても、「迎えてくれるべき人がいない」というのは淋しいことですし、例えどんな状況下にあっても、常に温かく「迎えてくれる人がいる」というのは、何よりも心休まるものです。
今の旅人さんにとって、最愛のお母様の「死」は、まだまだ受け入れ難い現実かとお察ししますが・・
人間は、誰もが皆「孤独」です。
しかも、生きて行く上においては、誰もが皆様々な「別れ」を体験せざるを得ず、中でも肉親の死・・とりわけ母親の死というものは、未来永劫「普遍の悲しみ」であり、同時に、誰もが避けて通れない現実でもあります。
これは私の個人的な願いですが・・
だからこそ旅人さんには、「運命に生きることを否定されている」なんて思うことなく、日々の生活をエンジョイ(バイク共々)して頂きたいと願っています。
 続く・・
夢子
2010/11/02 12:01
哀しいかな、私のようなオバサンには「AKB48」の魅力?は分かりませんが・・
彼女たちの映像や歌を聴くことによって、少しでも旅人さんの心が癒され、生きる勇気を呼び覚まさせてくれるとしたら、何よりも喜ばしいことではないでしょうか。
そして重複してしまいますが・・
  All the best for you my friend...hugs
今回もこのコトバを、私からもね。
夢子
2010/11/02 12:04
夢子さん、こんばんわ。

都立大のあたりに住んでいらっしゃったんですか!
僕は’90年代には、柿の木坂から駒沢公園、都立大駅周辺あたりまで、散歩という感じでよくオートバイで走ったものです。もしかしたら、どこかで夢子さんとすれ違ったかもしれませんね。
そういえば、都立大駅あたりではよく気品のある婦人を目にしたものでした。
黄色いバラの画像は、2007年5月に某局で放送された花と音楽の番組の一部です。母が生きていた頃には、花好きな母のために必ずこの番組を録画していました。
そして、録画したものの中から、母が特に気に入った花だけを集めて、DVDで一つの番組に編集し、それを母に見せてあげてたんです。
その中でも、黄色いバラの映像には、ブログに記したように、僕は強い思い入れをもっています。
黄色いバラやリボンが、愛する人の無事帰還を祈る際の世界共通のシンボルだということも、僕に思いを強くさせる理由の一つです。
続く
旅人
2010/11/02 19:45
母の死については、歳月も経過してますので、僕の心の中もある程度の整理はついてきています。
問題なのは、母とともに死んだ僕の希望や理想なんです。
僕は、母の闘病から死にいたるまでの時間の流れの中で、人間や人間社会の本質を見てしまいました。
幻滅するような本質を。
それによって、それまで僕が人間に対して抱いてきた、理想や美がすべて無意味なものになってしまったんです。
今の僕には、人間だけでなくありとあらゆる生き物がおぞましく、生きること自体がくだらないことに思えます。
この世のすべては無価値だと。
消滅すべきだと。

僕が今生きているのは、僕の書いたブログや撮影した動画、投稿したコメントなどが、ほんの少数ではあっても、ある人たちに何らかのプラスの要素を提供しているのではないかという自惚れた思いからです。
そして、夢子さんを思う気持ちも、僕の生きる力になっています。

僕もおじさんですが、
新しい歌ほど好きになってしまいます。
ポピュラーソングは年々進化し続けていると思います。

I hope all is well with you!
旅人
2010/11/02 20:08
色々な思いはやはり人の数だけ色々あると思いますニ過去に思い出と呼べるものが良し悪しに関わらず有ることが、これからの未来を必ず輝かせてくれると私は思いますニ今は未来でも月日が経てば、それもまた思い出に変わってしまうォ負が多い世の中で、小さな喜びを見つけられたら、今よりは幸せになれるかなォと思ってます
アレックス
2010/11/05 20:07
アレックスさん、こんばんわ。

アレックスさんの場合は理解ある愛すべきご家族といっしょなので、どんな試練も恐くないですよね。
その点、僕はひとりなんで・・・
でも、僕は小さな喜びを見つけるの得意なんです。
ブログを見てもらえばわかると思いますが、ほかの人が問題にしないようなささいなことにいちいち感動したりしてますから。^^
もっとも大きな喜びなんて縁がないですからね。
そのような小さな喜びと、かつての楽しかった思い出だけが今の僕の支えです。

明日のことはわかりませんよね。
この世に未来がわかる人なんていやしません。
その“わからない”ってことだけが、僕にかすかな期待をもたせてくれます。

アレックスさんから初めてコメントをもらったのは、2007年11月2日のことでした。
それから3年・・・お互いいろいろなことがありましたね。
アレックスさんは、僕が人生で一番つらい思いをしている時、僕に寄り添って支えてくれた方なので、アレックスさんの名は生涯忘れないと思います。
旅人
2010/11/06 20:17

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