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zoom RSS なぜ、250は消えたのか・・・オートバイ絶滅計画!?

<<   作成日時 : 2011/06/01 20:04   >>

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なぜ、250ccのオートバイが消えたのか、僕なりにわかったような気がしました。果たして、それはオートバイ絶滅プロジェクトの第1段階なのか・・・


だって、ありえないっしょ!!
Ninja250Rで一番人気のあったライムグリーンを廃止して、まったく人気のなかった黒を残すなんて。
どっかからの圧力でも想定しないと。



旅人が、限りなく真実に近いと思っている憶測です


ずっと不思議に思っていました。

なぜメーカーは250ccオートバイの生産を、

相次いで打ち切ったのか。

また、現在MotoGPクラスで活躍する数々の名選手を輩出した、

世界選手権250ccクラスがなぜ廃止されたのか。


Ninja250Rが国内・海外を問わず、

絶大な人気を博しており、

世界市場における250ccオートバイへの需要は、

以前として堅調であるにもかかわらずです。

特に日本においては、

車検制度という不条理なシステムがあるため、

250cc以上のオートバイについては、

経済的な負担が大きいため、

その車検の必要がなく、

しかも高速道路も走れるという、

250cc(厳密に言うと249cc)オートバイは、

若者を中心に人気があります。

*車検については、点検と同様のものと考えて、その面でそ
 れを肯定的に捉える人もいるかもしれませんが、実はそうと
 も言えないのです。というのも、車検というのは、あくまでも
 車の構造が法律に適合しているかを見るものであって、仮
 にその車に不具合(故障)とか欠陥が見つかっても、そんな
 ものは無視してかまわないからです。実際に、車検の直後
 に、もともとあった不具合(故障)の個所が原因で事故が発
 生しても、車検を行った側はいっさい責任を問われないそう
 です。この点で、車検は点検とはまったく違うものなのです。



ちなみに、海外では、

250ccオートバイは、

女性や小柄な男性に人気があるようです。

250ccオートバイは、

体力のない人でも取り扱いが容易で、

しかもレーシーな感覚も味わえるすぐれものなのです。


このような状況の中で、

250ccのオートバイが絶滅の危機に瀕しているということが、

僕にはどうしても理解できませんでした。


ところが、

あることがきっかけで、

突然ひらめいたんです。

なぜ250ccが消滅しかけているのか、

ということについて。


先日、次のようなことを耳にしました。

ここ数年、

年間の交通事故による死者が、

5千人を切っている。


僕は驚いてしまいました。

というのも、

僕の頭の中には、

同死者数が毎年当たり前のように1万人を超えていた、

今から20年前の、

オートバイ全盛時代のことしかなかったからです。


当時はレーサーレプリカといわれる、

フルカウルの250ccオンロードオートバイが、

十代の若者を中心に人気を博していました。

全国各地の峠は、

走り屋と呼ばれる、

原付や小型や250ccなど、

小排気量のオートバイで、

コーナリングテクを競う若者たちで、

あふれかえっていました。

また、峠以外の、

街中や観光地の道路なども、

オートバイでいっぱいでした。

そして、当時は、

峠、その他の道路を問わず、

今とは較べものにならないくらい、

オートバイによる事故が多発していました。


僕はその話を聞いた瞬間、

これだ!

と思いました。

250ccのオートバイが、

絶滅寸前の状態になっている、

真の原因がわかったような気がしました。


その時、僕の頭に浮かんできた、

250cc消滅のシナリオは、

次のようなものです。


250ccのオートバイは車検がいらず、

値段も安い。

にもかかわらず、

高速にも乗れるし、

性能はそれより大きい排気量のオートバイに較べ、

それほど大きく見劣りしない。

特に、

低速コーナーの多い、

日本の峠道では、

その程度の排気量のマシンが、

一番扱いやすく、

エンジンもめいっぱい回せて楽しい。


そうなると、

まだ学生だったりして、

経済的にゆとりのない十代の若者たちに、

もてはやされるのは必然的なことだ。


当然のこと、

メーカーはそのクラスのラインナップを充実させるし、

雑誌などのメディアは、

そのクラスの扱いを大きくして、

ユーザーの購買意欲を誘う。

オートバイに憧れる若者たちの多くは、

いやがうえにも、

このクラスのオートバイが欲しくなり、

実際に購入する者も出てくる。


若いがゆえに、

冒険心が強く、

ヒーローになることに憧れる彼らは、

スリルとカッコよさを求めて、

峠などに行き、

コーナリングテク向上にいそしむ。


その結果、

無謀運転が増加し、

事故が多発する。

さらに、それのみならず、

人生経験の浅い彼らは、

峠に限らずあらゆるところで、

無茶な運転をしがちなので、

全体的にオートバイ事故が増える。

ご存じのように、

オートバイの場合、

身体を保護するものがない。

そのため、

オートバイによる事故は、

死亡事故に直結する確率が高い。

そして、それは、

おのずと交通事故死者の増加へとつながる。


しかしながら、

それは取締り当局にとって、

汚点となるものであって、

責任を問われる事態ともなりかねないのだ。


当局は、各方面から、

交通事故死者を減らすことを要求される。

そして、彼らは、

一番やりやすい部分に目をつける。

すなわち、

親の管理下にあり、

親自身、子がオートバイに乗ることにあまり乗り気ではない、

十代の若者たちからオートバイを取り上げること。

かつての三ない運動の時のように。


それなら、

社会的コンセンサスが得られやすく、

ほとんど反発や抵抗を受けずにすむだろう、

と彼らは思ったはず。


そして、

当局はメーカーに圧力をかけ、

非公式ながら、

250ccオートバイの製造自粛を要請する。

メーカー側はそれに従わざるをえない。

しかし、メーカーもバカではないので、

そのままでは、

若者のオートバイ離れを招くのみならず、

ユーザー層の裾野を失うことによって、

ライダー人口が先細りになり、

将来的に日本において、

オートバイが消滅する事態にもなりかねない、

ということを十分認識していたはずだ。


そこで、メーカーは日本市場に見切りをつけ、

海外の市場に商機を求める。

特に経済成長が著しい、

東南アジア諸国に。

今、日本のオートバイの多くが、

それら東南アジア諸国で生産されている。

これは労働コストが安価なためだけではない。

現地の市場を強く意識してのことなのだ。


しかしながら、

それらの諸国においては、

まだ経済的に発展途上にある国が多いため、

オートバイは、

四輪が買えない人のための、

単なる移動手段という色彩が強い。

したがってそのニーズは、

まず、リーズナブルであること、

そして、実用面で優れていること、

などが中心とならざるをえない。

日本のように、

スポーツ性が求められたり、

趣味やこだわりの対象となったり、

ステイタスシンボルとなることは、

ほとんどないと思われる。


一方、

日本ではオートバイは一つの文化だ。

今時の若者たちは、

オートバイや車に関心がないと言われているが、

僕はそんなことはないと思う。

若者たちは経済的理由や、

将来に対する不安などから、

そのような遊びをする余裕がなくなっているだけだ。

僕は、

事実上、現在唯一の、

オンロードスポーツタイプの250ccオートバイといえるNinja250Rを、

一生懸命カスタムしている若者たちや、

20年も前のNSR250Rなどに乗る若者たちを見かけると、

気の毒に思うとともに、

彼らの、

オートバイに対する真摯(しんし)な態度に打たれ、

彼らに限りない愛(いと)おしさを感じてしまう。

そして、同時に、

日本のオートバイ文化は、

若者たちに確実に受け継がれているということを実感する。



ライダーのみなさん、

このままでいいのでしょうか。

今、自分たちがよければ、

これからの世代がどうなっても・・・

もしそうじゃないんなら、

少なくとも、

お互い関心を持ちましょう。

危機感だけでも共有しましょう。

無関心では絶対に何も変わりませんが、

多くのライダーが関心を持てば、

問題がよい方向に向かう可能性だって、

ゼロではないと思いますので。


何かよいものを守りたいのなら、

そのための努力が必要です。

もしそれを怠れば、

チェーホフの「桜の園」に登場する桜の園のように、

それが滅びるにまかせるしかありません。

オートバイが、

その桜の園のようにならないことを、

祈るばかりです。


最後に、

このエコの時代に、

「オートバイなど無用の長物だ」

「オートバイなどこの世に必要ない」

と思っている方に、

一言申しあげて、

このブログのしめとしたいと思います。


人間はなぜ、

登山やボクシングやラグビーなどという、

危険なスポーツを楽しむのでしょう。

なにかの役に立つとはとても思えないような、

リスクの高い数々のパフォーマンスに、

なにゆえに挑戦するのでしょう。

どうして、ギネスの記録を塗り替えようと、

ほとんど意味をもたないようなことに、

夢中になるのでしょう。


それは、

人間には好奇心というものがあるからです。

それが冒険心を呼び起こし、

ロマンという美しい夢を見させるのです。


もし人間が、

そのような資質をもたなかったら、

実用を離れたものに興味を示さなかったら、

人間にはなれなかったでしょう。

猿から人間に進化することはなかったでしょう。

実用を離れたことへの、

興味や挑戦は、

人間を人間たらしめる、

知的存在としての人間の、

根幹をなすものなのです。


僕たちライダーは、

オートバイという相棒とともに、

日常の世界を飛び立ち、

はるか上空の、

夢と冒険とロマンの世界を楽しみます。


            *        *        *

旅人は、

250ccのオートバイにしか乗ったことがありません。

そして、これからも乗ることはないでしょう。

今から考えると、

いい時代を生きてきたと思います。

ライダーとして恵まれていたと。


☆旅人と250ccオートバイの歩み


○ホンダCBX250RS

単気筒でエンジンのかかりが悪かった。

これで、毎週のように鎌倉、江の島方面にツーリングした。

京都まで行った時は本当に疲れた。

もう25年も前の話だけど、

僕の心の中では、

昨日のことと変わらない。

画像

       1985年3月撮影。


スズキGF250

箱根大観山、湯河原椿ライン、真鶴道路(旧道)のみかん畑。

海と山とみかん畑(オレンジ畑に想定)が地中海地方を連想させてくれた。

画像

       1987年10月撮影。


ヤマハFZR250

このオートバイで初めて、

今でも大好きな大垂水峠(おおだるみとうげ)に行った。

大垂水峠からの帰り、

国道16号でスリ抜けしている時に、

左折四輪自動車と衝突し、

左腕骨折、全身打撲、

全治3ヵ月の重傷を負った。

このオートバイはその時全損廃車に。

画像

       1989年11月撮影。


ホンダNSR250R

大垂水峠を走り回った。

見ず知らずの若い女性ライダーにメッチャ怒られて、

走り屋をやめた。

画像

       1993年5月撮影。


カワサキZZR250

走り屋をやめてからは、

ツーリングざんまい。

画像

       1994年5月撮影。


カワサキNinja250R

現在の自分です。

7年間のブランクをへて、

2008年10月に、

ライダーとして復活しました。

撮影場所は、

今は廃業してしまった、

大垂水峠の旭山ドライブイン駐車場です。

僕にとってここは、

夢のあと?

画像

       2008年12月撮影。


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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
旅人さん、コンニチワ。
確かに一時期、バイクの事故が多くて社会問題になったことがありましたね。
そういえば、以前(長男がまだ高校生の頃)パート先で、高校生や大学生の男の子を持つ母親たちが、「バイクを欲しがって困る」、「とにかく事故が多いから
・・」と嘆いていた時期がありましたっけ。
もしかしたら、メーカーが250CCのバイクの製造を自粛するようになった原因の一つには、旅人さんが指摘されるような裏があったのかもしれませんね。
幸い、我が家はバイクとは縁がなかったのですが・・
かつては私も、バイクは多くの若者世代が一度はかかる「はしか」みたいなものと思っていました。
でも旅人さんのように、真から(250CCの)バイクを愛するライダーさんにとっては、年々バイクが衰退化してゆく現象は、返す返すも不本意であり、耐えがたい寂しさでしょうね。
私などにはバイクの「バ」の字も語る資格がありませんが(笑)・・
国内におけるバイクに対する取り組みなども、年々変わざるを得ない状況なのでしょうね。
そして悔しいけれど、それもこれも「時代の流れ」だと思って受け容れていかなければならないのでしょうね〜。
でも、旅人さんがおっしゃる「実用を離れたモノに対する好奇心と冒険心・・」というのは、私にもよく分かります。
人間は、ハンドルの「アソビ」の部分が最も大切ですものね。
めげずに楽しんでください。
夢子
2011/06/07 11:15
夢子さん、こんばんわ。

僕がこの記事で書いたオートバイと若者の関係性についてはすべて本当のことだと言っていいと思います。
当局が恐れ、規制を強化しようとするだけの高いリスクを、オートバイという乗り物ははらんでいるんです。
しかしながら、それでもオートバイに乗りたいと思うのは、それだけの魅力があるからなんです。
その魅力は、乗馬のそれに似ていると言われます。
人間、特に男性は昔から乗馬を好みました。
人馬一体となり、風を切って疾走することで得られる快感は、なにものにも代え難いものがあります。
それは、頭で味わうというより、むしろ本能的に感じるような類のものです。
オートバイでは、全身がむき出しになっているため、五感のすべてで自然を感じ、それと溶け合って一体となる喜びを味わうことができます。また、オートバイはバランスをとりながら運転する乗り物なので、脳を活性化させるはたらきがあり、そのため、体調をよくしたり、気分を高揚させたりする効果もあります。
心の病に冒された若者たちを治療するための道具として、オートバイを活用するカウンセラーさえいるくらいです。
続く
旅人
2011/06/09 23:57
リスクについては、ある程度のものは容認すべきだと思っています。というのも、人間、リスクがなければ精神的に成長しないからです。
スポーツにしても、多少は危険を伴うものでないと、教育的効果は期待できないそうです。
また、昔からの子供の遊びと言えば、木登りとか川遊びですが、これらは常識的に考えても、オートバイ以上の危険性をはらんだ遊びだと言えると思います。
しかし、ライディングもスポーツも遊びも、その危険な部分が、同時に精神的成長を促すという大切な役割を果たす部分でもあるんです。
現代の子供たちは、そのようなリスクを伴う遊びをしなくなったため、精神面での発達に問題が生じていると聞きます。
以上、オートバイの有用性について書いてきましたが、それらのほかに、僕には若者たちにオートバイに乗って欲しい理由がもう一つあります。
それは、日本には欧米のように成熟した大人の文化がないので、若者がオートバイ離れを起こしたら、将来的に日本のオートバイが消滅してしまう可能性があるからです。
若者たちは、将来国を担っていかなければなりません。その若者たちを健全に育成するために、オートバイは役立ちます。
夢を追う活力を失い、小市民的に小さくまとまった、「若年寄」のような若者ばかりにしないためにも、日本を病んだ国にしないためにも、オートバイを絶やしてはならないんです。
旅人
2011/06/10 00:39
 旅人さん初めまして。『バイクに乗るということは、そのリスクに責任を持つこと』と考えています。事故を起こしても、起こされても“乗っているから悪いんだ”と見られるバイクです。“三ない運動”の保護者側から見れば、危険を排除するためと思われますが、単なる過保護です。
 『乗る権利に対して、リスクという義務を負う』という権利と義務の単純なバランスが、権利のみ主張して義務を果たしたくない人には理解できないのでは?
 世の中ではこのように自立できない人を“子供”と呼んできたはずですが、いつのまにか“大人”が減ってきましたよね。
 逆境は人を作りますが、順境は人を腐らすようです。リスクを飲み込んでこそ自立できるのです。冷遇の中で走り続けるバイク乗りは、きっと自立できます。
aet
2011/06/10 08:07
aetさん、こんばんわ。

aetさんからコメントをいただくのはこれで2度目だと思います。
(もしかして、以前のaetさんとは別の方?)

前回もたいへん真摯なコメントを寄せていただきました。

僕の記事に反応していただいてありがとうございます。
とてもうれしいです。
コメントからは、aetさんのオートバイを愛するお気持ちが伝わってきます。

aetさんのおっしゃるとおりです。
大事なのは個人の自立です。
そして、自立というのは責任と表裏一体をなすものです。
本来、それが基本であり、考え方の土台を構成すべきものなんです。
続く
旅人
2011/06/10 18:53
しかしながら、
世界において唯一この国には、その個人という理念がないんです。
言葉はあるんですが、
実質的に国家にも国民にもその理念はありません。
したがって、この国には自立も責任もないのです。
あるのは、「和」と言われる、あいまいでどうにでもなる、権力者にとってまことに好都合な観念だけです。
そのため、国はやたらと規制を設けたがります。

面倒で、時間とお金のかかる二輪免許取得制度。
排気量ごとに設定された免許の種類。
お金のかかる車検制度・・・などなど。

国民を子供扱いする国家、そして、自立せず家畜のように従順な国民。
これらは、すべて個人という理念がこの国に欠落していることを示しています。

これに対し、欧米においては個人という理念が徹底していますので、
おそらく、
二輪免許などただ同然ですぐに取得できると思われます。
もちろん、排気量ごとの免許なんてないでしょう。
当然、車検制度なんてものもありません。
その代わり、何かあった場合はすべて個人が責任を負います。

だから、彼らはいくつになっても気軽にオートバイに乗り始めることができます。
現に、日本と違い、欧米では比較的年配のライダーが多いようです。
これは、昔から大人(個人として自立している人)の文化が成熟している欧米ならではの事象だと思います。
続く
旅人
2011/06/10 19:05
でも、
日本では事情が違います。
日本においては、オートバイは子供のオモチャであり、四輪に乗れるようになるまでのつなぎだというような意識が強くあります。
実際、ライダーはその大半が若者か、あるいは若い時にオートバイに乗っていて、後年になって復活したリターンライダーです。
となると、
この国では、若者がオートバイ離れを起こした場合、必然的にオートバイというものが消滅する危険性が生じてしまうのです。

現在、250ccオートバイに起こっている事態は、常識や理屈ではとうてい説明がつきません。
なんらかの不自然な力が関与しているとしか思えないんです。
そして、その力は、かつての三ない運動など比較にならないくらい強力でたちが悪く、日本のオートバイに致命的な打撃を与えかねません。
続く
旅人
2011/06/10 19:15
ところで、
以前、二輪専用の通行規制が奥多摩周遊道路で施行されたことがありました。
僕は、ブログでそれに猛反発したのですが、ライダーたちのほとんどはそれに無反応で、それどころか、同じライダーでありながらその措置を肯定する者まで多く表れる始末でした。
しかし、その規制も今は(こっそり?)解除されています。

僕は思うのですが、ライダーや国民の意思によって、オートバイが消滅を免れるというのは、この国では期待できません。
オートバイが助かる唯一の道、それは、前述の奥多摩周遊道路の一件のように、当局がオートバイに対する規制や圧力を徹底せず、いい加減に、かつ、あいまいに、それを緩めてくれることです。

aetさんのように、ポジティブな思考ができなくて申しわけないのですが、僕にはこれが現実のように思われます。
旅人
2011/06/10 19:36
 旅人さん失礼しました。初めてでは無いです。昨年6月の“すり抜け”に訪問したことをすっかり忘れていました。お詫びに少し記載します。
『250ccへの風あたりについて』
 メーカーの利鞘が極端に少ないことも要因かもしれません。日本の排ガス規制は相当厳しいので、インジェクション等のコストが大きいためと思われます。
 それよりは、四輪がそうであったように、利鞘の大きい大型に絞り込んで、ステータスをあおり、免許取りたての(素人の)お金持ちが食いついてくれれば、採算が取れるようです(半分ひがみです)。
『個人の理念について』
 ご意見に賛同する部分が多々あります。残念ながらしばらくはこのままでしょう。“赤信号みんなで渡れば怖くない”と言い放った世代が、既得権にしがみつくでしょうからね。この方々は、義務を果たさないで権利を履行すればどうなるかなんて、考えもしません。
 日本は民主主義をもらってしまいましたが、どうやら勘違いしたままの方々が大勢いるようです。それでも“第二のリベリア”にはならないと信じています。少なくとも、国造りはやってきた歴史があるのですから。
aet
2011/06/10 20:41
aetさん、こんにちわ。

250ccについては、確かにおっしゃるとおりだと思います。
僕は、20年くらい前に行きつけのバイクショップで、250ccは利幅が少ないので、メーカーはあまり売りたがらないという話を聞いたことがあります。
当時の、250ccが大量に売れていた頃でさえそうですから、あまり台数が出ない現在ではなおさらでしょう。
しかし、利幅が少ないとは言ってもゼロではありませんからね。
最近、メーカーのカワサキに電話で直接聞いたところによると、Ninja250Rはカワサキにとってドル箱的存在だそうです。
にもかかわらず、カワサキは一番売れているライムグリーンを廃止して、一番売れてなかった黒を残しました。
やはり変です。

四輪については、数年前から軽などの小型が全盛だと思うのですが・・・
いずれにしても、日本では若い頃オートバイに乗ってなくて、年配になってから乗るというケースはほとんどないと思うので、若い人が乗らないとライダー人口は先細りになるはずです。
このままでは、メーカーはもたないと思います。
続く
旅人
2011/06/11 14:00
欧米では、民衆が血を流して民主主義を勝ちとってきました。
でも、日本人はそれをタナボタ式に手に入れました。
だから、日本人の血には個人も人権も民主主義も含まれていません。

現在の日本は経済的に本当にやばいです。
きれいごとを言ってる場合じゃない。
日本は過去、元寇の時の台風や、第二次大戦後の朝鮮戦争特需など、絶対的な危機を運で乗り越えてきました。
だから、この国の国民には危機意識がありません。
しかしながら、
今回も、今までのように奇跡が起こるという保証はまったくないのです。
順当に行けば間違いなくリベリアです。
旅人
2011/06/11 14:13

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