夢と冒険とロマン

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zoom RSS 暑い夏、寒い人生、熱い心

<<   作成日時 : 2013/09/13 19:10   >>

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追いつめられた者の心に去来するもの。それは、夢か、はたまた狂気か。


暑かった今年の夏。

で、

どのくらい暑かったのか。

僕が夏の暑さのバロメーターにしている、

8月の最高気温の平均でみると、

今夏の東京は、

1995年8月、2010年8月、1947年(昭和22年)8月に次いで、

観測史上4番目の暑さ。


思ったよりたいしたことなかった?

いやいや、

僕の印象から言わせてもらえば、

一番暑かった1995年の場合は、

34〜35度くらいの日がずっと続いたけど、

37度とか38度なんていう日は、

なかったように記憶している。

その点今年は、

8月上旬に少し涼しい日はあったが、

その後は35度を超える猛暑日がけっこうあったので、

平均気温以上に暑かったという印象が強い。


かくいう自分は、

何十年もバイクに乗ってる者の誇りと意地で、

冷暖房はできるだけ控えるようにしている。

もちろん、

エコのためということもあるが、

それよりむしろ、

暑さや寒さに耐えられないような者は、

ライダーとしてみると、

軟弱な人間ということになり、

それは恥ずかしいことだという意識があるからだ。

だから、

これまでは、

部屋の温度が35度くらいになっても、

冷房を入れようなんて考えなかった。

画像

       昭和30年代製、アンティーク温度計。(笑)
       この時の室温約35度。


しかし、

今年の異常な暑さでは、

そんなことも言っていられなくなった。

気持ちのうえではなんでもないと思っていても、

年のせいか、

身体の方にダメージがきてしまった。

暑いのにヤセガマンしてたら、

足腰の筋肉に、

運動をしてないにもかかわらず、

疲労感が出てきてしまったのだ。

これは熱中症の前兆のような気がした。



さすがにヤバイと思った。

僕はすぐにエアコンのスイッチを入れ、

以後はいっさいガマンしないことにした。

エコも根性も軟弱も、

命あってのものだねだ。


それで、

昼間はそのように、

積極的にエアコンを活用することにしたのだが、

問題は夜間だった。


なんせ、

わが家は築50年以上の古家だから、

断熱材などいっさい使われてない。

そのため日中にさんざん日を浴びると、

家全体が熱せられ、

まるで保温器のような状態になる。

夜になって外が涼しくなっても、

室温はいっこうに下がらず、

家中がまさに蒸し風呂状態。

夜8時、9時になっても、

33〜34度くらいあるのはあたりまえだ。

僕の寝室がある2階はさらにひどい。


それでも僕は、

これまで、

エアコンをつけて寝たことなど一度もなかった。

というのも、

僕の寝室にはエアコンがなかったからなのだが、

たとえあってもつけなかったろう。

若くて体力かあったので、

網戸にして夜風を入れるだけでことたりたのだ。


でも、

今年に関しては、

年齢的な体力の衰えもあり、

異常な暑さということもあり、

とても寝られそうにないと思われた。


ということで、

僕は、

おふくろ(2008年8月他界)が寝室として使っていた、

1階の部屋で寝ることにしたのだ。


その部屋には、

介護用ベッドが置いてあって、

おふくろが寝たきりでいた時の、

その状態のまま保存してある。


僕はその介護用ベッドわきの狭いスペースに、

仮の寝床を作って、

そこで寝ることにした。

画像



枕元には、バイク用品が乱雑に置かれている。


画像


ところが、

ここでもあまりよく寝つけなかった。

真上にあるエアコンの音がうるさかったし、

エアコンからの風も気になって、

落ち着かなかったのだ。

寝床の硬さの違いにも違和感を感じていた。

でも、

当面は、ここ以外に寝られるような場所がなかったので、

寝苦しいのをガマンしつつ、

なんとか寝つこうと努力した。


そうして、

ようやくうとうとしはじめた時のこと、

僕は奇妙な夢を見た。


その夢は、

死んだはずのおふくろと僕が、

二人で住んでいるところに、

泥棒が入ったという設定だった。


泥棒が家の中を物色しているあいだ、

僕はその泥棒の目を盗んで、

こっそりと家を抜け出し、

近くの交番へと急いだ。


で、

なぜだかその途中で、

屋台のラーメン屋に立ち寄り、

そこでラーメンを食った。

こういうところが、

夢というもののトンチンカンなところ。


さて、

ラーメンを食べ終わると、

いちもくさんに交番へ。

そこにいたお巡りさんに事情を説明し、

助けを求める。


ところがである。

なぜかそのお巡りさん、

まったくとりあってくれない。


しかたなく、

その人の上司のところに行き、

再び事情を説明して、

何度も何度も助けを求めた。

しかしながら、

このお巡りさんもさっきの人と同じように、

とりあってくれないのだ。

何を言っても、

笑みを浮かべながら落ち着きはらっていて、

まともな反応が返ってこない。


僕はアセりまくった。

このままじゃ、

僕がいないことに気づいた泥棒に、

おふくろが殺されてしまう。


どうしよう、どうしよう

どうしよう、どうしよう (◎ 0 ◎;)



心配のあまり、

パニックになりそうだった。





と・・・


そこで気がついたのだ。

目が醒めたのか、

まだ、夢の中だったのかはさだかではないが、

おふくろがすでに他界してることに。



なんだ、

おふくろ、

もうとっくに死んでたんだよ。




僕は心のそこからホッとした思いだった。

変な話だけど。



そんな夢を見てから数日後のことだ。

その日突然、

僕は、

おふくろの命日を、

すっかり忘れていたことに気づいた。

その時すでに、

おふくろの命日が過ぎて数日たっていた。


僕はすぐに仏壇のある部屋に行き、

線香をあげた。



おふくろが使用していた介護用ベッドのわきで、

初めて寝た夜に見たこのへんな夢。

もしかして、

おふくろ、

自分の命日のこと、

思い出して欲しかったのかな・・・



話は変わるけど、

これまで何度もブログに書いてきたように、

僕は毎年夏になると雑草に悩まされている。

ウチの庭は、

総面積は変わらなくても、

よその家の庭に較べて、

草の生える部分の面積が広い。

また、雑草の生える勢いも、

よそから較べて断然強いように思われる。

おふくろが生きていた頃、

よくこぼしてたっけ。



ウチは植木や草花の育ちは悪いけど、

雑草や害虫の育ちだけはどこよりもよい




去年まで、

数ある雑草のなかでも、

特に、秋まで元気よく生えるドクダミに、

手をやいていたので、

今年はドクダミ絶滅作戦を決行することにした。


というのも、

僕は、

ドクダミに関して、

6月くらいまでが勝負で、

その時点までに徹底的に抜いてしまえば、

その後は生えてきたとしても、

大きく成長したり、

勢力を広げることはない


と推測していたからだ。


そのため、

今年は6月までに、

何度もドクダミ掃討作戦を実施した。


そして、

その甲斐あって、

8月になっても、

ドクダミに苦しめられることはなかった。

思っていたとおり、

生えてくるにはくるのだが、

小さいままで、

花も咲かず成長もしなかった。


ま、

それはそれでよかったのだが・・・

しかし、

このままではすまないのが、

僕のもって生まれた運のすごさ。


ドクダミがなくなったのはよいのだが、

その代わりに、

予想に反して、

ドクダミがあった頃には生えてこなかったような草が、

生えてきてしまったのだ。

画像

       東側の草。イネ科?

画像

       西側の草。1種類の今まで見たこともない草がびっしり。

しかも、

ハンパないはびこりよう!

8月1ヵ月で、

わが家の周囲は、

大草原状態になってしまった。

というのも、

8月は暑くて草とりができないから。

とても無理。

熱中症になっちゃう。


雑草もその種類によって、

生え始める時期が異なるのだが、

悪いことにこれらの草は、

もっとも暑くなる8月初め頃から、

生え始める種類なのだ。

だからどうにもならない。

結局、

ドクダミが生えるか、

これらの草が生えるか、

どちらかひとつということなのだ。


今、庭を眺めるたびに憂鬱になる。

9月に入って少し涼しくなってきたので、

草とりをしなくちゃとは思うのだが、

いまひとつやる気が出ない。


4月から8月初めまで、

がんばって13回もの草とりをした、

あの努力はいったいなんだったんだろう。


せめて、

電気やガスのメーターの検針をする女性たちが、

いやな思いをしないよう、

その通路だけでも、

きれいにしなければとは思うのだが。



それにしても、

今年の夏もパッとしなかったな。


エアコンの風の通り道で昼寝をしてたら、

夏風邪をひいてしまい、

のどが痛いやら、

ハナが出るやら、

関節痛や筋肉痛、

身体全体の疲労感に悩まされるやら・・・

セキなんか、

出始めると止まらなくなって、

近所がびっくりするほどひどいありさまだった。

その状態がほぼ8月いっぱい続いた。

そのうえ、

バイクの調子がおかしくて、

どこにも行く気がせず、

自転車みたいに、

近場を走ることしかできなかった。

当然、

夏休みに予定していたいくつかのツーリング計画も、

すべてパー。



まあ、

僕にとって、

この程度の低調さはいつものことだし、

これが、

“ほぼ普通の状態”

と言っても過言ではないんだけどね。


いつもだったら、

そのまま、特に何も考えることなく、

秋を迎えるところなんだけど、

今年の夏はちょっと違った。


いい加減、

いやになってしまったのだ。

同じことの繰り返しに。



今年、

あるいは今年の夏が、

僕にとって、

特別にひどいものだったというわけではないのだが、

でも、

なんかもういやになった。


これまで、

将来に漠然とした期待を寄せて、

いつか人並みの幸せにめぐり会えるかもしれない

という、

淡い望みを抱きつつ生きてきた。

ていうか、

それだけが生きる支えだった。


それが、

もはや無理なように思われてきたのだ。


何度も何度も繰り返される失望劇に、

すっかり嫌気がさしてしまった。



疲れた・・・



生まれてから一度もいいことなくて、

悪いことばかりで、

僕の置かれた状況は、

一貫して悪くなる一方。

ずっとずっとそういう流れできてるのに、

これからの残り少ない人生において、

それが逆転するなんて、

とてもじゃないけど思えない。

このまま、

ただ、ひたすら、

いやな思いを繰り返しながら、

年をとっていくだけだろう。



古代ローマでは、

メメント・モリ

という言葉が、

人生の戒めの言葉として、

人々の心に、

多大な影響力をもっていた。

訳すと、「死を思え


死は

老若男女を問わず

誰にでも

いつやってきてもおかしくないもの

だから

いつ死んでも悔いの残らないよう

せいいっぱい今を生きろ


というほどの意味だ。


実際、

人間なんていつ死ぬかわからない。

それは明日かもしれないし、

1時間後かもしれない。


事故や災害や急病で、

毎日大勢の人が亡くなっていくけど、

その人たちだって、

直前まで、

まさか自分が死ぬなんて、

思ってもみなかったろう。


これは、

決して他人ごとじゃない。

僕にだって、

いつ死が訪れるかわからないのだ。


僕は、この夏、

自らの来し方をふり返った際、

そこで起こったもろもろの出来事に、

嫌悪感を覚えるとともに、

生まれて初めて、

生の対極にある死というものについて、

真剣に考えた。


もし近い将来、

死がやってきたら・・・


自分、

納得して死ねるだろうか?

ただ、つらいこと苦しいことに耐えるだけで、

なにひとついいことがないまま、

おとなしく死んでいけるんだろうか?

草とりするだけの人生で終わっても、

それで満足できるんだろうか?



なわけないよね。

誰だってそうだろ。

本心では。

僕だってそうだ。



なら、

どうする?



とにかくやろう。

自分がやりたいと思ったことはなんでも。

結果を恐れず、

今すぐに、

明日なんてないと思って。


失敗してもいい。

しょせん僕の運じゃ、

成功なんて望みうすだし。


死んでもいい。

どうせ生きてたって、

100%いやなことばかりだし。

これから先、

どんなひどいめにあうのか、

想像しただけでも恐ろしいくらいだ。


じゃ、

なにをするんだよ?


具体的なことは、

なにも頭にない。

なんのあてもない。

ただ、

そういう気構えさえあればいいんだ。

少なくとも、

“座して死を待つ”

ようなことだけはしたくない。

それだけは絶対にいやだ。

それじゃ、

なんのために生まれてきたのか、

つらい思いをしながら、

どうして今日まで生きてきたのか、

わからなくなる。

自分という存在の意味が、

まったくなくなる。


せっかく生まれてきたんだ。

なんでも試してみたい。

そして、

生きた証(あかし)になるようなものを、

手に入れたい。

勲章やメダルなんていらない。

ささやかなものでいいから、

自身に誇りのもてるようなものが欲しい。



自分の全存在をかけて勝負しよう。

コップの中の嵐でもいい、

ごまめの歯ぎしりでもいい。

なにかやってやる!!





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。



暑さで頭やられた?

今年の夏は暑かったからな。


“真夏の夜の夢”なのか、

はたまた、

“酷暑による狂気”なのか。



            *        *        *


大人になってわかったことは、

人間も動物の一種に過ぎないということ。

国同士でも個人のあいだでも、

人間は互いに食い合ってる。


社会に出た時、

保身のためには、

平気でウソをついたり、

平然と人を裏切ったりする人を見て、

とてもショックを受けた。


幸いにして、

僕は現在まで、

公的な立場で、

そのようなことをせざるをえない状況に、

追い込まれたことがなかったし、

私的な関係でも、

不誠実なことをしたことは一度もなかった。

さらに、

自分自身をごまかしたり裏切ったりするようなことも、

いっさいしてない。


運に見放されたみじめな人生ではあるが、

この点についてだけは、

めぐまれているように思う。

これはひとつの救い。


まあ、

正義感や誠実さなんて、

腹の足しにもならないし、

それどころか、

むしろ敵を増やして、

自らの立場を危うくするだけの、

ものなんだけどね。


            *        *        *


おふくろが好きだった、

野草「ホタルブクロ」。

ウチの庭に自然に生えてきたもの。

野草らしい素朴なたたずまいがいい。


草だけど、

どこにでもあるわけじゃないし、

花がきれいなので、

これは抜かない。


正直、

これを残して雑草だけ抜くのは、

けっこうな手間だ。

でも、

その手間を惜しまなければ、

こうして美しい花を咲かせてくれる。



釣り鐘みたい♪ (=^▽^=)


画像

       薄紫の花。

画像

       ピンクの花。


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