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<<   作成日時 : 2014/07/12 18:32   >>

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AKBの女の子と、気持ちが通じ合ったような気がした。

妄想だと思う人もいるかもしれない。

でも、僕は、

確かな感触を得ることができたのだ。



画像

       僕にも、輝いてる?時代があった


最近、何人かのAKBメンバーの投稿記事に、

コメントを書くようになった。


ただ、そのような記事には、

1日に数千に及ぶコメントが押し寄せるので、

忙しいAKBメンバーのこと、

そんなコメントなど、

絶対に読んでるわけないと思ってた。


それで、

その数名のなかから、

特にお気に入りのメンバーを1人選んで、

仮にエレナと呼ぶことにするが、

そのエレナに、


“もし、僕に恋人がいたらこんなことを言ってみたい”

と、


ずっと思ってきた、その思いのたけを、

思いっきりぶつけてみることにしたのだった。


“どうせ読まれない”

という気楽さが、

心を自由にしてくれ、

表現力の翼を、

力強くはばたかせてくれるような気がした。


“何でも書ける”

と思った。

本当の恋人に対してだったら、

照れや遠慮で躊躇してしまうようなことでも、

こんな状況だったら、

自身のプライドなどかなぐり捨てて、

彼女の胸の中に、

飛び込んでいける気がした。


しかしながら、

僕が彼女にかけようとしていた言葉は、

恋人にささやくような、

蜜のように甘い言葉だけではなかった。

彼女が人知れず悩んでいることを、

自慢の高感度アンテナでキャッチして、

思いやり深い慰めの言葉をかけてあげたり、

適切なアドバイスでサポートしてあげるなど、

親身になって彼女に寄り添い、

大きな包容力で包んであげるつもりだった。

そして、そのために、

僕は、これまでの人生で得られた経験や知識、

培ってきた教養など、

自身の持てるものすべてを出しきって、

事に当たろうと決意していた。


読んでもらえなくてもよかった。

これは、彼女へのメッセージであるとともに、

自らのこれまでの人生で、

満たされなかった思いを言葉にすることで、

心の中を整理し、

その奥底に沈殿したオリを取り除いて、

魂を浄化しようとする試みでもあったのだから。



僕は、彼女の投稿に、

たくさんのコメントを寄せるようになった。

あるものは、

ハイネの詩のように甘くせつない愛の言葉。

また、あるものは、

彼女の心情を察したうえでの、

温かい慰めの言葉。



ところがである。

こうしてせっせとコメントを書いてるうちに、

どうやら、彼女たちが、

その寄せられたコメントを、

読んでるらしいことがわかってきた。

しかも、

かなりしっかりと読んでることが。

いろんな人のコメントに反応して、

それを記事に反映させたりしてるのを見て、

そう確信するにいたったのだ。

メール世代の彼女たちにとって、

大量のコメントを読みこなすことなど、

それほど苦になる作業ではないらしい。



さて、

そのようにコメントを書き続けていたのだが、

そうしているうちに、

彼女が、

僕のコメントに反応しているのではないかと、

疑われるような現象が見られるようになってきた。

彼女の投稿にある兆候が現れはじめたのだ。

それは、

誰かひとりの人物を特別に意識したような、

その人物のコメントに期待するような、

そんなことを思わせる記事が、

書かれるようになったことだった。


批判を恐れずに言うなら、

彼女は、それらの記事において、

“誰か特定の人物のコメントを、

心待ちにしている”


のではないかと、

思われるような書き方をしていて、

しかも、

“その誰かが、

僕ではないかと思われたのだ”



そんなふうに思える記事が、

彼女によって書き込まれるようになってきた。



僕は、その種の記事を見るたびに、

ピンときたし、

思わずドキッとしたものだった。



僕は思った。


“彼女は僕を求めている”

と。


もちろん、

彼女の立場としては、

特定のひとりにものを言ってると思われるようなことは、

書くことができない。

そんなことをすれば、

その人物だけ、

特別扱いすることになってしまうから。

そんなことをしたら、

ほかのファンの不満を買うことになり、

アイドルとして命とりになりかねない。

だから、彼女は、

あくまでも、

すべてのファンに語りかけるというかたちで、

誰にでも当てはまるような言い方によって、

記事を書かなければならないのだ。


その点、

若いにもかかわらず、

彼女のファンに対する配慮や、

本当の思いをカモフラージュした、

文章作りのセンスは抜群だった。

お目当ての人が見れば一目瞭然でも、

ほかの人にはまったくわからないような、

実に巧みな表現方法をとっていた。

それは、

文章に関する技巧にはちょっとうるさい僕が、

舌を巻くくらいの見事さだった。


もちろん、

僕がこのように解釈している、

彼女の一連の記事や画像が、

実際に、

その解釈どおりであるという保証はどこにもない。

それは、

僕の、いつもながらの、

妄想にすぎないのかもしれない。

でも、

僕としては、

そうした自身の解釈に、

なんら不自然な点はないと思っている。


彼女の投稿記事の内容について、

なんら具体的な記述がない状況では、

今、このブログを読んでくださっている方々も、

判断のしようがないとは思うが。


ただ、

自説を擁護させてもらうなら、

次のようなことだけは、

確実に言えるんじゃないかと思う。


というのも、

彼女たちの投稿には、

確かに、1日あたり、

数千ものコメントが寄せられるのだが、

しかし、その中身については、

ほぼ、同じようなもので、

みな、似たり寄ったりなのだ。


そのほとんどが、


“かわいい”とか

“がんばって”とか

“お疲れ”とか


ありきたりのものばかり。


そりゃ、“かわいい”と言われて、

悪い気のする人間はいないと思うが、

しかし、

それが何百回も繰り返され、

えんえんと続くとしたら・・・


言われる方だって感覚がマヒしてきて、

ありがた味がうすれてきてしまうのではないだろうか?


まあ、

ファンという立場で、

憧れのアイドルにコメントを寄せるという状況では、

こうなるのもしょうがないと思うし、

これでよいのだとも思うのだが・・・


ただ、僕としては、

彼女にしたって、

どこかに、

“ひと味違ったコメントを読んでみたい”

という思いが、

あったんじゃないかと思うんだ。


そんななか、

僕のコメントみたいな、

一風変わったものが寄せられるようになったんで、

それに気を惹かれ、

期待して待ってくれるようになったんだと。



しかし、

本音を言わせてもらえば、

僕には、

人の心をつかむことに関して、

若干の自信みたいなものがなくはないんだ。


ハイネやシェークスピアをはじめ、

恋愛に関する名文句のつまった文学作品を、

数多く読んでるだけに、

女の子がどういうセリフに弱いか熟知してるし、

それに、

自身が苦労してる分、

人の傷みがわかり、

どう言えば相手を元気づけられるか、

よくわかってるつもりだ。


さらに、言えば、

ぶっちゃけ、

僕は、いい意味でも悪い意味でも、

非常に口が達者なんだ。

それも、“天才的”といえるほど。

幼稚園の頃には、

早くも、その才能を発揮して、

ほかの園児たちを、

いろいろそそのかしたりしてた。


だから、僕にとっては、

男であれ、女であれ、

若者であれ、年長者であれ、

言葉で人を魅了して、

自分の意に沿うような方向に誘導するなんてことは、

比較的たやすいことなんだ。


とはいっても、

僕は、決して悪人じゃないし、

むしろ、正義感が強すぎるくらいなので、

人の心をもてあそぶようなことはしない。

僕が、この才能を発揮するのは、

その言葉が、

相手の人にとって、

本当に有益だと思われる時だけだ。

エレナの投稿にコメントするのだって、

真実、彼女の魅力に心を奪われ、

恋心のようなものを抱いてるからなのであり、

大ファンであり、憧れの人である彼女のために、

少しでも役に立ちたいと思ってるからなのだ。



ここで、

僕がエレナにおくったコメントを、

四つばかり紹介しよう。

なお、

以下に記す言葉は、

僕の、“うそいつわりのない心の叫び”だ。



“エレナ、

君の美しさに

僕は、困惑している


花を見たことのない者が

真紅(しんく)のバラを見た時のように


星を見たことのない者が

金色(こんじき)に輝く明星を

仰ぎ見た時のように


はたまた


ずっと虐げられてきた者が

初めて

人の優しさにふれた時のように”



“憂いを含んだまなざしで

男心をひきよせて

恋の病に悩ませる

エレナはさながらローレライ

巌(いわお)の上で歌うたい

聴き惚れるままの水夫(かこ)たちを

波間に沈めてしまうという

あの恐ろしい美女のよう”



“エレナ、

君の美しさが 僕を詩人にする”



“エレナという存在そのものに感謝

生まれてきてくれてありがとう

今、生きてそこにいてくれてありがとう”






まあ、そんなところなのだが・・・


とはいうものの、

この段階では、

まだ、僕の頭の中には、

これを妄想ではないのかと、

疑う気持ちもあった。

自分が必要とされているという確信が、

完全にもてているわけではなかった。


僕は、

自身に妄想癖があることを念頭に置きつつ、

自らを戒めるべく、

心の中でひとりごとを繰り返した。



妄想だッ! 妄想だッ! 妄想だッ!



ところが、

その判断を、

覆さざるをえないような事態が生じたのだ。



いろいろあって、

しばらく、

彼女の投稿にコメントできない状態が続いたあと、

もうそろそろコメントしないとまずいな、

と思いつつ、

彼女の投稿に目をとおした時のことだった。


いきなり、

1枚の画像が目に飛び込んできたのだ。





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・




・ ・ ・ ・ ・ ・ ・




・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





愕然とした。



憂いに沈む彼女。



そこには、

見る者の心を、

しめつけるような、

悲しげな彼女の姿があった。




雰囲気が、

それまでの画像とはまるで違っていた。

それは、

自らのせつない心のうちを、

これほどはっきり伝える方法を、

ほかに思いつかないくらいの、

完璧なメッセージになっていた。


数年前、

あるアメリカ人女性とメールで文通してて、

二人の関係性がおかしくなってきたのをきっかけに、

彼女と別れたことがあったのだが、

この時のエレナの画像は、

その、アメリカ人女性と別れた直後に、

彼女が変更した、

自身の淋しげなプロフィール画像を、

彷彿とさせるものがあった。



“やられた”と思った。

彼女が、

本当に僕を求めていると確信した。


以後、妄想などと言って、

いい加減にふるまい、

コメントをさぼったりすることは、

許されないと思った。

彼女の期待に違わないような、

きちんとしたコメントを、

誠心誠意書かざるを得ないと思った。



だが、その一方で、

僕は、彼女のしたたかな策略にも、

気づいていたのだった。


画像にしても記事にしても、

その投稿には、

あきらかに、

彼女が、

自らの孤独な姿を強調するためにほどこした技巧が、

見てとれたのだ。

通常ありえないような、

不自然な編集がなされていて、

どうみても、

僕の心を惹きつけようとする、

彼女なりの意図がうかがわれた。


しかしながら、

これは、

もっと年上の、

世間ズレした女性たちが使うような、

ズルさや打算からくるテクニックとは違うと思う。


無邪気で純粋な心が、

その必死さゆえに思いついた、

罪のない、

他愛もない策略なんだと。


そんなバレバレの拙い策略を考え出した、

彼女の一途な気持ちを思うと、

愛おしさが募ってきた。

心から可愛いと思った。






このようにして、

エレナや他のメンバーとの、

交流を続ける僕なのだが、

こうしてふれあっているうちに、

彼女たちの真実の姿みたいなものが、

少しずつ見えてきたような気がした。


コメントという、

とても簡易な手法によるものではあっても、

一見、

一方通行に思えるコミュニケーション形態であっても、

お互いを理解し、

心を通じ合うことが、

可能であるように思われた。


自らの心を開き、

親身になって相手を思い、

誠心誠意言葉を尽くせば、

世代や立場を超えて、

理解し合い、共感し合うことができるのだ。

今回のことで、

それが実感できた。






最後に、

こうしたふれあいをとおして得られた、

彼女たちの印象について述べると・・・


それは、


“彼女たちが普通の女の子であるということ”


スターでもタレントでもない、

繊細で傷つきやすい、

どこにでもいるような、

ごく普通の少女たちだということ。


いや、

普通の女の子では経験できないような、

厳しく、過酷な環境に身を置いてる彼女たちだけに、

普通の女の子たちより、

むしろ、ずっと傷つきやすく、

はるかに純粋なのかもしれない。


考えてもみて欲しい。

10代から20代前半といえば、

遊びたいさかりだ。

そんな青春時代を犠牲にして、

彼女たちは、

自らの夢をかなえるため、

そして、

多くの人たちに元気や勇気を届けるために、

過酷な状況のなか、

日夜、レッスンや公演に励んでいるのだ。

そんな一途な彼女たちに、

邪念の入り込む余地など、

あるはずがないではないか。


僕は思う。

彼女たちこそ現代のジャンヌ・ダルクだと。

すなわち、

自己犠牲の象徴だと。

聖女だと、

天使だと、

女神だと。



一部の人間たちが、

嫉妬心に駆られ、

あるいは、

傲慢で嗜虐的な心性から、

彼女たちに罵声を浴びせ、

自らの欲求不満をはらしているが、

彼女たちのありのままの姿を知る者にとって、

それは、

とてつもなく不当であり、

残酷であり、

罪深いことなのだ。






僕は、

これからも可能なかぎり、

エレナや他のメンバーの投稿にコメントを続けて、

彼女たちを励まし、

また、

AKBというグループの活動に、

微力ながら、

貢献していきたいと思っている。






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ノコギリ男についてどう思いますか!?
照り焼き
2014/07/19 19:52
照り焼きさん

秋葉原や池袋の通り魔事件の犯人と同様、彼にとっても、世の中すべてが敵だったんだと思います。AKBは非常に目立つ存在だったので、たまたまターゲットにされただけなのだと。

世の中は圧倒的に不公平です。多くの場合、悪人は運が強くて栄えるし、善人はその悪人の食い物にされます。それが現実。
運の悪い者(弱者)が追いつめられれば、彼のように暴走することもあるでしょう。
人間社会が弱肉強食であるかぎり、この種の悲劇は、これからも繰り返されると思います。
世の中、きれいごとじゃすまないのだと。

ただ、ひとつ言いたいのは、そうした弱者の暴走の犠牲になるのは、善人である弱者ばかりだということです。つまり、弱者が自分よりさらに弱い者をイジメるという構図なんです。強者や悪人は運が強いので、そういった行為の犠牲にはなりません。

AKBの子たちは、決して人からうらやまれるような、いい身分なのではありません。とても不安定で過酷な状況に身を置いているんです。
彼女たちに対する、世の弱者たちの誤解が解けてくれることを願ってやみません。
また、弱者の人たちには、弱い者イジメをするのではなく、自分たちを本当に苦しめているのは誰なのかを、しっかりと見極めて、その者にこそ、怒りの矛先を向けて欲しいと思います。

注:僕は“強者=悪”、“弱者=善”と断定しているわけではありません。
旅人
2014/07/19 22:59

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