夢と冒険とロマン

アクセスカウンタ

zoom RSS 真実

<<   作成日時 : 2014/09/23 00:09   >>

トラックバック 0 / コメント 0

ちっぽけな人生、偉大な芸術

画像


のっけから、

インスタントラーメンの画像って。(笑)

豪勢に2個も入れた卵は、

くずれて見苦しくなっちゃってるし。


久しぶりに作ってみたんだけど、

期待したほどおいしくなかった。

水を多く入れ過ぎて、

味が薄まっちゃったってこともあるんだけど。


今は、

カップメンでけっこうおいしいのが出てるからね。

昔ほど、袋メンのおいしさを感じなくなった。


昔は、袋メン、

特に、“サッポロ一番しょうゆ味”が大好きで、

(ネギの香りがいいんだ)


“世の中に、

こんなうまいもんはない!”



って思ってたんだけど。



さて、

9月も半ばになり、

腰の痛みの方もほとんどなくなったんで、

約2ヵ月ぶりに、

庭の草とりをしてみることにした。


腰痛は、

油断するとすぐぶり返すし、


“もし、ぶり返したら、

再起不能になるんじゃないか”



って、

恐れてもいたんで、

実行するのにはかなりの勇気がいったけど、

庭をそのままにしておくわけにもいかないんで、

思いきってやってみることにした。


で、

いざ、作業を始めてみると、

腰をかがめてのばした時に、

少し痛みを感じる。


“やばい”と思ったんで、

即座に、

しゃがんだまま作業をするやり方に、

切り換えることにした。


かつて、

2008年9月から2009年3月にかけて、

ひどい腰痛に苦しめられたことがあるんだけど、

その原因は、

この、“しゃがんだ姿勢での草とり”にあると、

かってに思い込んでいたんで、

この切り換えにも勇気が必要だった。

しかし、

なんとしてもしなければならない作業だったんで、

イチかバチかでやってみることにしたのだ。


ところが、

いざ、やってみると、

しゃがんだ姿勢から立ち上がっても、

全然痛くない。

瞬間的に、

“イケる”って思った。

と、同時に、

今まで、

しゃがんだ姿勢が、

腰痛の原因だと思ってきたことは、

間違いだったのかもしれないと思った。


作業は思ったより順調にすすみ、

予定していた行程を、

腰の痛みもなく、

疲労もほとんど感じずにすますことができた。



やれやれ

これで

庭のない家への引っ越しも

施設への入所も

しなくてすむかな




いつも使ってた45リットルの袋が、

使いきってしまっていて、

なかったんで、

しかたなく、

90リットルの袋に草を入れた。


持ち上げてみると、

メッチャ重い!

“こりゃ、ゴミ収集の人に悪いことをしたな”

って思ったけど、

いまさらどうしようもない。

とにかく、

次の草とりまでには絶対に買おうと思った。

画像



草とり前の庭

画像



草とり後の庭

画像


“草を完全にとりきる”

ってわけにはいかなかった。

なんせ、

草を全部とるってことになったら、

何倍もの時間がかかちゃうから。

でも、

まあ、これなら、

メーターを検針する女性たちも、

それほどいやがらないんじゃないかな。



ちなみに、

翌日に来たゴミ収集の人、

袋を収集車の上に持ち上げようとしたんだけど、

持ち上がらなくて、

助けを呼んで、

二人がかりでやってた。 m ( _ _ ) m


            *        *        *


腰の痛みはだいぶよくなってきたけど、

9月に入ってから雨の日が多くて、

前回乗ってから、

また20日くらい、

オートバイに乗ってなかった。


“そろそろ乗ってあげないと

前回は

スーパーまで往復しただけだったし・・・”



というわけで、

久しぶりに晴れた14日、

ちょっくらそのへんを走ってくることにした。



さあ、行くぞ!!

やっぱ、青空 っていいね。

画像


多摩川沿いの道路を走って、

いつものように、

丸子橋近くの浅間神社のところへ。


昔懐かしい、

風情のある店の前で、

お約束の1枚。

画像


丸子橋の水色が好きなんだ。

画像


六郷用水に行って、

画像


鯉なんか撮ったりして、

画像


福山雅治の歌で一躍有名になった、

“桜坂” にも足をのばしてみる。

画像


画像


そんでもって、

田園調布の駅なんかも、

写真におさめたりして。


一応、フラッシュたいて撮ったんだけど、

逆光でよく見えないな。

もともと意味のない写真だから、

ま、いっか。

画像


これでおわり。

本日のツーリング?無事終了!

あとは帰るのみ。


最後に、家の近くで、

グレープジュースを飲んだ。

ひと仕事したあとの1杯はたまらんね。 (>_<)

画像


次の日もまたちょこっと乗って、

今度は、ソフトクリームを食べた。


どこにでも売ってるような、

なんのへんてつもないものだけど、

ソフトクリームってうまいね。

いわゆる氷菓ってやつの中じゃ、

1番かも。

画像
















・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( ̄一 ̄)




それにしても、

つまらんブログだな。

貧乏くさくて、

みじめったらしくて。


これじゃ、

誰も読む気になれないよな。


みんな、

明るく、楽しくって、

ポジティブなものを読みたいと、

思ってると思う。

その方が心の養分になると。



だが、諸君!

次に挙げる四つの著作は、

いずれも、

人類最高峰の英知の結晶なのだが、

そこには、

明るさや楽観的要素など微塵もない。

そこで目にするのは、

深刻で悲惨な状況ばかり。

でも、

これが我々の世界の、

真実の姿なのだ。

そして、これこそが、

心の養分として、

我々の精神を成長させてくれるものなのだ!!





て、ことで、

あらすじを書き、

簡単な解説もつけたんで、

よかったら読んでみてね。


ま、

実際に彼らの著作を読んで、

精神を成長させたからって、

どうってことないんだけどね。

幸せになれるわけじゃないし。






●プラトーン「ソクラテスの弁明」


あらすじ


今から約2400年前、

ギリシア・アテーナイ(アテネ)において、

ソクラテスは、

ならず者一派によって告発され、

アテーナイの民衆裁判にかけられる。


罪状は次のようなものだった。


ソクラテスは、

国家が信仰する神を信じない。

一方、

自らが信仰する新奇の神を、

青年たちに広め、

それによって彼らを堕落させている。



彼は事実無根のその訴えに対し、

裁判の場で自ら弁明し、

自身の潔白を主張するのだが、

ほんのわずかの票差で有罪となってしまう。

そして、

脱獄を懇願する弟子たちの意をしりぞけ、

自らすすんで死刑に処せられる。


その時、ソクラテスが、

裁判の場で行ったとされる弁明を、

後年、彼の弟子だったプラトーンが、

著作という形で再現したものが、

本書、「ソクラテスの弁明」だ。



この著作には、

ソクラテスが、

自身の無実を証明する過程で、

裁決を下す立場の人々が、

誤った判断に陥らないようにするために語った、

非常に重要な教えが含まれている。

すなわち、



“国家を正義に基づいたものにするために、

人は、どのような心構えで生きるべきか”



ということについての教えが。



手作りのブックカバーをつけてる。

僕の、この書への愛情の深さの顕れ。

画像





●ソフォクレース「オイディプス王」


あらすじ


「オイディプス王」は、

今から約2400年前に、

ギリシア・アテーナイ(アテネ)で上演された悲劇。


テーバイの王ライオスと、

王妃イオカステーのあいだに、

1人の男の子が生まれる。

のちのオイディプスだ。


王は、

デルフォイのアポロンの神託所に使いをやり、

その男の子について神託をうかがわせる。

すると、巫女(みこ)は、

男の子の将来について、

次のような驚くべき託宣をしたのだ。



その子が成長したあかつきには

実の父を殺し

自らを生んでくれた母と結婚したあげく

その母とのあいだに

子供までもうけるであろう




この託宣に恐れをなしたライオスは、

男の子を殺害することに決め、

羊飼いにわたして、

山野に捨てさせようとする。


ところが・・・


男の子を不憫に思った羊飼いは、

捨てるにしのびず、

同僚の羊飼いに預けることにする。

そして、

その同僚の羊飼いは、

子宝にめぐまれず、

ちょうどその頃、

子供を欲しがっていたコリントスの王に、

男の子を与える。


男の子はオイディプスと名づけられ、

コリントス王の元で大切に育てられて、

立派な若者に成長する。


ところが、

ある日のこと、

オイディプスは、

ふとしたことをきっかけに、

自らの将来に関する、

かの不吉な預言を耳にしてしまう。


コリントス王と、その王妃を、

実の親だとばかり思い込んでいたオイディプスは、

その預言が実現することを恐れ、

二度とコリントスには戻らない覚悟で、

諸国を放浪する旅に出ることにする。

そして、

そのように旅を続けるうちに、

本来の祖国であるテーバイ近郊にまで到達する。


そこからが悲劇のはじまりとなる。


オイディプスは、

たまたま道で出会った傲慢な男に、

道を譲ることを強要され、

ムチで打たれる。

それが、

実の父、ライオスだったのだ。

両者は、互いに刃を抜いて争うこととなり、

結局、

オイディプスは、その男を殺してしまう。

実の父だと気づかずに・・・


ここにおいて、

預言の1つが実現してしまったことになる。


さらに、

テーバイに向かって(奈落に向かって)進むオイディプス。

次に現れたのは、

通行する人に謎々を出し、

それが解けないと食ってしまうという、

人間の女性の頭部に獅子の身体、

背中には羽をもつという、

恐ろしい怪物“スフィンクス”だった。


オイディプスは、

スフィンクスが出した謎、


“幼い時は四つ足で

成長すると二本足

老いると三本足で歩く生き物とは?”



という、

現在でも有名な謎に対し、

正解である、“人間”と答え、

スフィンクスを退治する。


そこで、オイディプスは、

以前からこの怪物に悩まされていた、

テーバイ市民によって、

英雄として迎えられるのだ。


そして・・・


王が何者かに殺され、

未亡人になっていた王妃イオカステーと、

婚姻を結ぶことになってしまう。


実の母と。


彼らはやがて、

二人の男の子と、二人の女の子をもうける。


ここで、

かのデルフォイの巫女の預言は、

完全に実現したことになる。

もちろん、

オイディプスは、

そんなことを知るよしもないのだが。



さて、

以上述べてきたことは、

実は、

この「オイディプス王」という悲劇が、

そのモチーフを得ている、

壮大な“オイディプス伝説”の一部だ。

ソフォクレースの「オイディプス王」を理解するうえで、

必要不可欠な予備知識として記した。

実際のソフォクレースの悲劇は、

預言の実現という事実を、

オイディプス本人が知る過程のみを描いている。


では、以下に、

そのソフォクレースの「オイディプス王」の、

あらすじを記すことにする。




オイディプスがテーバイに来て何年もたった頃、

テーバイの市(まち)で、

凶作による飢饉が起こり、

疫病も蔓延(まんえん)する。

その事態をいぶかしく思ったオイディプスが、

その原因をさぐるため、

デルフォイに使者をおくるところから、

この悲劇ははじまる。


使者となった義弟クレオン(実際は母方の叔父)は、

デルフォイの巫女から、

先王ライオスを殺した犯人が、

市(まち)の汚れとなり、

諸々の災厄を引き起こす、

要因となっていることを告げられ、

オイディプスにも、

そのように報告する。


その後、オイディプスは、

高名な占い師テイレシアスを呼び寄せ、

ライオス殺しの犯人を占わせる。

しかし、

真実を知るテイレシアスは、

王を恐れて、

本当のことを言おうとしない。

終始、あいまいな言葉を繰り返す。

オイディプスは、

そのはっきりしない態度に腹を立て、

二人の間で言い争いが起きてしまう。


オイディプスの脅迫的な言葉に、

次第に追いつめられてゆくテイレシアス。


耐えきれなくなった彼は、

ついに、本当のことを示唆してしまう。

オイディプスは激高するが、

それを信じようとせず、

かえって、

クレオンがテイレシアスを使って、

自分を王位から追い落とそうと、

たくらんでいるのではないかという、

疑いを抱くようになる。


しかし、

その後のいろいろな人々の証言から、

事実が徐々に明るみに出てきて、

さすがのオイディプスも、

自身の身に、

何か恐ろしいことが起こりはじめているのを、

感じずにはいられなくなる。


いやな予感に、

内心恐れおののくオイディプス。

だが、

その誠実さゆえに、

真実の追究をやめようとしない。

追及の手をゆるめない。


最後は、

イオカステーからオイディプスをわたされ、

捨ててくるように言われた羊飼いと、

その羊飼いからオイディプスを預かって、

コリントス王にわたした同僚の羊飼いの、

決定的な証言により、

オイディプスの罪業が明らかとなる。


真実を知ったオイディプスは、

妻(母親)を殺害しようと捜し求めるが、

彼女は、

見つけた時には、

すでに自ら首を吊り、

息絶えていた。


オイディプスは、

妻(母親)の死をみとどけると、

服の留め金のピンで、

自らの両目をえぐりとる。

そして、

自身に追放の刑を科し、

娘アンティゴネーに手を引かれて、

テーバイの市(まち)を去ってゆく。



この物語が、

時空を超えて人々に愛されるのは、

先王殺しの犯人が、

人々の証言から、

徐々に明るみに出るという、

物語自体の、

緊迫感あふれるスリリングな展開も、

そうなのだが、

なんといっても、

自身に関する恐るべき事実が、

次第に明らかになってゆくなかで、

恐れを抱きつつも、

逃げずに、

真実に対峙していこうとする、

オイディプスの強靭で誠実な姿勢が、

人々の胸を打つからであろう。


オイディプスは、

自らの、

身の毛もよだつような行く末を知り、

それを避けるために、

できるかぎりの努力をする。

しかし、

皮肉なことに、

その、運命を避けようとしてとった行動そのものが、

運命を成就させるための、

みちすじとなってしまうのだ。


この著作が僕たちに教えてくれるのは、



“どんなに努力しても

運命は変えられない”



ということ。

そして、



“いかに過酷な状況に身を置いていても

人は、その試練に耐え

誠実に

人生をまっとうしなければならない”



ということ。

そうすることによって、

人は、

運命を超越した存在になれるのかもしれない。





●アリストファネース「鳥」


あらすじ


本書は、

今から約2400年前、

紀元前5世紀末の、

ギリシア・アテーナイ(アテネ)で上演された喜劇である。


当時のアテーナイは、

長年にわたるスパルタとの戦争により、

疲弊(ひへい)しきっていた。

籠城作戦が裏目に出て、

市中には疫病が蔓延し、

多くの者が病にたおれていった。

街路には、

病死した者の遺骸が、

葬られもせず、

そのまま放置されているありさま。

戦況も不利な中、

市民には、

厭戦気分が広がっていた。


喜劇作家であるアリストファネースは、

停戦による平和の到来を、

切望していたのだが、

無能な指導者の愚かな政策により、

その期待を裏切られ、

この喜劇が書かれた頃には、

半ばあきらめの境地になっていたと思われる。


喜劇は、

二人のアテナイ市民、

ペイステタイロスとエウエルピデスが、

市郊外の荒涼とした僻地に、

現れるところからはじまる。


彼らは、

奇想天外なある計画を、

実行しようとしているのだった。


その計画とは、

神の住む天上界と、

人間の住む地上界とのあいだの、

雲の上に、

鳥の国を作ろうというもの。

そして、

自分たちも鳥になり、

その国の支配者となって、

天上界の神々及び地上界の人間たち双方から、

税金を取り立て、

安楽に暮らそうというものだった。


彼らは、

戦争をやめない人間たちに、

また、

それをやめさせない神々に、

失望していたのだ。

だからこそ、

戦争のない、

平和な鳥の国を作り、

そこで暮らそうと思いついたのだった。


紆余曲折を経て、

計画はめでたく成就する。(喜劇は常にハッピーエンド)

そして、

当時のギリシア古喜劇の形式にのっとって、

アラライ イエー パイアーン!(アポロン万歳)

のかけ声とともに、

鳥たちが歌い踊りながらねり歩くところで幕となる。



この喜劇については、

ギリシア古喜劇特有の、

バカ騒ぎやお笑いの陰に、

人間世界に対する、

失望や諦めの気持ちがひそんでいて、

それが面白味に奥行きを加えている。

ユーモアの裏には、

ペーソス(哀感)が隠れているし、

スイカに塩をかけることで、

よりいっそう甘みが増すように、

闇が深いほど、

光は明るさを増すものなのだ。


しかし、

この作品の真骨頂は、

なんといっても、

いろんな種類の鳥たちが登場し、

歌や踊りを疲労するシーンの、

華麗で、ファンタスティックなところ。

それはまさに、

物語の底を流れる諦観の、

もの哀しい諦めの美とあいまって、

夢幻の世界を織りなしている。

おそらく、古代の観衆は、

そのファンタジーに酔いしれたことだろう。

著作として読んでるだけでも、

流麗さにめまいを覚えるほどなのだから。


現在の、

コンピューターグラフィックスを駆使した、

ゲームやアニメその他の映像世界も、

いくぶんかのファンタジーを有するものなのだろう。

だが、それは、

あくまでも、

“目で見るファンタジー”。

しかし、

ギリシア演劇が醸し出すファンタジーは、

“魂で感じるファンタジー”なのだ。


悲劇にしても、

喜劇にしても、

ギリシア演劇の詩的な美しさは、

比類がない。





●シェイクスピア「ハムレット」


あらすじ


デンマーク王を、

その王妃との不倫の果てに殺害した王弟クローディアス。

その後、彼は不倫相手だった王妃と結婚し、

王として即位する。


一方、

殺害された先王の息子ハムレットは、

その事実を父王の亡霊によって知らされ、

なおかつ、復讐することを求められる。


しかし、

そのような大義があるにもかかわらず、

繊細な神経の持ち主であるハムレットは、

あれこれと迷い、

自らに課された責務を果たすことができない。


彼は次第に自虐的になり、

虚無に陥ってゆく。

しまいには、

狂気に駆られたかのような言動を繰り返すようになる。


ハムレットのそのような言動に、

恐れを抱いた王は、

謀略をめぐらし、

彼を亡き者にしようとするのだが、

どんでん返しの末、

結果的に、

ハムレットを含む当事者全員に、

破滅が訪れる。



この著作は、


“人間とは迷うものであり、

また、

迷うからこそ人間なのだ”



ということを、

我々に教えてくれる。



迷うということは、

考えるということ。

想像力をはたらかせること。

迷うからこそ、

“ヒト”は、“人間”になることができたし、

人間になることができたからこそ、

文明を築くこともできたのだ。

人間以外の動物は、

決して迷うことがない。



            *        *        *


僕は

以上のような著作によって育まれた

知性と感性を以て宣言する



“AKB48は

現代の奇跡であり

秋元康の偉大な芸術作品である”



            *        *        *


僕は

みじめな人生を歩みつつ

偉大な芸術や哲学を

我がものにした





月 と 6 ペ ン ス






                                        Copyright

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
真実 夢と冒険とロマン/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる