夢と冒険とロマン

アクセスカウンタ

zoom RSS カッサンドラ

<<   作成日時 : 2017/07/02 18:21  

トラックバック 0 / コメント 0

画像


カッサンドラという女性をご存じだろうか。

カッサンドラは、

ギリシア神話に登場する、

トロイという国の王女だ。


トロイは、

現在のトルコ北西部、

エーゲ海東岸の、

黒海への入り口付近に、

あったと言われる国で、

古くから、

エーゲ海と黒海を結ぶ要衝として、

栄えていたという。


そのトロイに、

王プリアモスの娘として、

生を受けたカッサンドラは、

顔立ちが美しく頭もいい、

才色兼備の女性だった。


ところが、

そんな彼女を悲劇が襲った。


その美しさが、

予言の神アポローンの目にとまり、

求愛されてしまったのだ。


しかし、

純潔な彼女は、

それに応じようとしない。


怒りをあらわにしたアポローンは、

カッサンドラに予言の能力を授け、

未来を予知できるようにする一方、

“その予言の言葉を誰にも信じてもらえない”

という罰を課したのだった。


当時トロイは、

10年間にわたって、

ギリシアとの戦争状態にあった。


ギリシア軍は、

アテネやスパルタなど、

ギリシア全土の都市国家の連合軍で、

はるばるエーゲ海を渡り、

トロイの城砦にほど近い海岸に上陸して、

そこに陣を敷いていた。


両軍は、

この10年間に、

何度となく衝突を繰り返したが、

決着がつくまでにはいたらず、

戦況は、

一進一退の膠着状態が続いていた。


そんなある日、

トロイの人々が海岸に行ってみると、

なんと、

もぬけのからになっていたのだ。


そこに陣を敷いていたはずの、

ギリシアの大軍勢が、

忽然と姿を消してしまった。


浜辺には、

船一艘、人っこひとり見当たらない。


ただ、

一つの巨大な木馬だけが置かれていた。


トロイの国中が歓喜に包まれた。

みな、

“木馬一つを置きみやげに、

ギリシア軍が撤退した”

そう信じて疑わなかった。


人々は、

その木馬を戦利品として、

城内に持ち帰ることに決めたのだった。

しかし、

カッサンドラは、

木馬を一目見るなり、

その中に、

ギリシア兵がひそんでいるのを、

見抜いてしまった。


彼女は人々に懇願した。

“中に伏兵がいます!

すぐにでも焼き払ってください!!”


と。

だが、

前述のアポローンの罰により、

彼女の言葉は誰にも信じてもらえない。


結局トロイは、

その木馬にひそんでいた、

ギリシアの伏兵たちが、

夜中にこっそり城門を開け、

すでに引き返してきていたギリシア軍を、

城内に引き入れたため、

その兵たちによって、

あえなく、

陥落させられてしまったのだった。


有名な“トロイの木馬”の物語である。



この話は、

実際に起こった歴史的な事件が、

のちになって、

神話化したものだと言われている。


おそらく、

かつて、

トロイがあったといわれる、

エーゲ海と黒海を結ぶ要衝の地に、

その地理上の位置ゆえに、

多大な権益を有し、

富栄えていた国があったのだろう。


しかし、

その権益をめぐって、

他の国々との軋轢(あつれき)が生じ、

それが戦争に発展した結果、

その国は滅ぼされてしまったのだ。


何かの権益で豊かになる国と、

その権益をねらって戦争をしかける国。

人類はそんな歴史を繰り返してきた。



僕が思うに、

このトロイ戦争にまつわる、

カッサンドラの逸話には、

大いなる教訓が含まれている。

それは、

民主主義の是非にも関わる、

とても深い意味をもつものだ。


人類は、

これまで多くの過ちを繰り返してきた。

そして、

そのもっとも深刻な例が、

“民族浄化”

といわれる、

国や民族同士の殺し合いだ。

人類は、

他の集団を絶滅させるべく、

精力的に行動してきた。


そのようなことを避け、

共存共栄の道を探ることだって、

できたはずなのだが、

浅慮から、

最悪の道を選んだ。


通常、

二つの勢力の間に、

衝突の危機が訪れた場合、

当事者双方において、

最悪の状況を避けるべく、

打開策が検討されることになる。


そのような緊急時において、

平和的に問題を解決する方法を、

提唱する者は必ずいるはずなのだが

多くの場合、

最終的には、

多数決によって、

戦争という最悪の選択がなされてしまう。

そして、

その背景にあるのが、

“やらなければやられてしまう”

という恐怖心だ。

恐怖心が理性に勝ってしまうのだ。


多くの人間は、

存亡の危機と思われるような、

深刻な事態に直面した場合、

恐怖心のとりこになってしまって、

冷静な判断ができなくなる。

それができるのは、

先を見通す力のある、

カッサンドラのような、

ほんのひとにぎりの人間だけだ。

彼らは、

武力で相手を制すれば、

いずれ自分たちにも、

その禍(わざわい)がめぐってくることを、

知っている。

だからこそ、

融和的な策を提唱するのだが、

所詮、

このような先見の明ある英知の持ち主は、

ごく少数なので、

主に無知が原因している恐怖心、

その恐怖心に駆られた多数者に、

道を譲らざるを得なくなる。


このパターンは、

人類において普遍的なもので、

いつの世においても、

どこの地域にあっても、

同じような悲劇が繰り返されてきた。

結局、

多数決の原理がはたらくかぎり、

少数者の意見は、

無視されてしまうことになるので、

賢明なカッサンドラの声が、

人々の耳に届くことはないということなのだ。


人類の血なまぐさい歴史の中で、

いったい何人のカッサンドラが、

無力感を味わい、

涙を流してきたことだろうか。


若い頃には理解できなかったのだが、

古代ギリシアの哲学者プラトーンが、

その著作においてソクラテスに、

民主主義を最低の国制と言わしめている理由が、

今ではよくわかる。



ちなみに、

僕は選挙に関心がない。

もちろん、

投票にも行かない。

関心があるのは、

AKBの選抜総選挙だけだ。笑


選挙はもう卒業した。

この世界のこと、

人間のことを知っていくうちに、

希望を失ったから。



さて、

僕にも、

カッサンドラと似た思いがある。


なぜなら、

僕はたくさんの名著にふれ、

歴史も学んできたため、

普通の人よりかは、

多少、

先が見えるようになっていると思うのだが、

カッサンドラといっしょで、

言うことを、

誰にも聞いてもらえないという、

思いがあるから。


僕が、

今、一番気にかけているのは、

現代の日本人のこと。

というのも、

現代の日本人は、

昔の日本人に較べ、

本を読まなくなったせいで、

ものを考えなくなってきているし、

個人としての主体性も、

失ってきていると思うからだ。


これは、

いわゆる、

最近、耳にする、

“日本人の劣化”

というものの中に、

含まれるものだと思う。


特に、

IT世代の若者については、

これからの日本を、

担ってもらわなければならない人たちだけに、

状況をより深刻に受けとめている。


ということで、

僕は折にふれて、

文章でなり口頭でなり、

その危機を訴えているのだが、

反応はゼロ。

完全に、

“馬の耳に念仏”状態だ。


ま、

相手は、

“ものを考えない”

人たちなわけだから、

そうなるしかないんだろうけど。



自身の人生についても、

世の中も、

どうにもならないものなんだということが、

最近ようやくわかってきた。


さらに、

自分がこれまで幸せだと思ってきたこと、

たとえば、

春がめぐってきたことの喜びとか、

バイクで、

野性の世界に遊んで、

冒険とロマンを満喫したこととか、

ヨーロッパの古典によって、

人類最高峰の知にたどり着き、

美と真実の世界をきわめたこととか、

そんなことには、

なんの価値もなく、

カスみたいなことなんだとわかった。


僕がいままで感じてきた幸福なんて、

砂漠を喉をカラカラにして歩いてきた旅人が、

冷たい泉に出会ったようなもの。

泉の水にありつけたことが幸福というよりは、

そもそも、

そんなふうに砂漠をさまよっていること自体が、

不幸なのだ。


そんな、

ささいでつまらないことに、

生きる喜びを見出していた、

これまでの僕の人生なんて、

まったく意味のないものだということが、

今にしてはっきりとわかった。

かといって、

現在や未来に、

何か期待できるものがある、

というわけでもない。

けっこう長く生きてきたのに、

(いいことが)一つも起こらなかったということは、

これからも、

(いいことが)何も起こらないということだろう。

これだけ生きて、

さまざまな経験を積んでくれば、

そんなのは自ずとわかる。

というか、

わからない方がおかしい。



というわけで、

僕は、

過去に慰めを求められず、

今生きてることに意味を見い出せず、

未来にも希望がもてなくなった。


すなわち、

完全に救いがなくなったということ。


僕は、

ただ、“虫”のように生きるのみ。



      *      *      *


わが家のアジサイ

わが家の庭のアジサイが、

今年も咲いてくれた。


アジサイは、

AKBの楽曲、

「てもでもの涙」にも歌われている、

どこか悲恋を予感させる可憐な花。


僕は、

柏木由紀さんと加藤玲奈ちゃんが、

歌ったこの曲が大好き。


特に、

玲奈ちゃんのパート、

“雨が好きな この紫陽花は 晴れた日には目を閉じて〜♪”

の部分がたまらなく好きだ。

画像


この曲は、

ほぼ毎日聴いてる。(=^▽^=)


多摩川台公園のアジサイ

今年もバイクで、

多摩川台公園に、

アジサイを見に行ってきた。

画像


今年の同園のアジサイは、

花の数が少なく、

形も小さく貧弱で、

全体として精彩を欠いていた。


寿命がきてるのか、

株が弱ってる感じ。


公園のすぐ近くに、

塔みたいな建物が建ってる。

古くて、

魔女かなんかが住んでそうだ。

画像


もうすぐ夏至。

今頃は、

1年で一番日が長い時期だ。

夏至を境に、

だんだん日が短くなっていく。


そして、

6月が終われば、

今年も半分終わり。


時のたつのは速い。

速過ぎる。

何もしないうちに、

月日だけが過ぎてゆく。


心ときめく出会いもないままに。


名曲

今、僕を支えてくれてる二つの曲。

「ヒグラシノコイ」(東 李苑、古畑奈和)

「枯葉のステーション」(東 李苑、古畑奈和)



しっとりとした曲調のうちに、

熱い想いを秘めた名曲。


ひまさえあれば聴いて、

心を慰めてる。


1日何回でも。


ともに、

SKE48の、

東 李苑さんと古畑奈和さんによるもの。

画像


このコンビ好きだ。


東さんは、

すでにSKEを卒業した。


もう永久に、

このコンビの曲が聴けないのかと思うと、

無性にさびしい。


「ヒグラシノコイ」の歌詞の、

“カナカナ”というのは、

ヒグラシの鳴き声。


どこか哀れを誘い、

はかなさを感じさせる。



数年後には、

AKBのメンバーの顔ぶれも、

だいぶ変わってることだろう。


みな、

希望の未来に向かって、

はばたいていく。


僕を残して。





時は流れる

人は去る

しかし

僕はここにとどまる

ここで生きてる




*画像:上「ヒグラシノコイ」、下「枯葉のステーション」






                                        Copyright

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
カッサンドラ 夢と冒険とロマン/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる