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<<   作成日時 : 2018/01/10 19:06   >>

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2017年から2018年へ

2017年の初めには、

その1年を無事生きおおせるとは、

思っていなかった。


今、

2018年を迎えて、

よくぞ生きてこれたと思う。



2017年は、

例年以上に多くのものを失った年だった。

長年親しんできたことが、

よんどころない事情で、

できなくなったりした。


身体のあちこちに新たな病気が見つかり、

健康不安が増大した年でもあった。


バイクにもあまり乗れなかった。

雨が多かったし、

リコールの通知をもらっても、

なかなかバイク屋に行かなかったんで、

いつ動かなくなるか心配で、

自宅近くの歩いて帰れる範囲を、

グルグルまわったりすることが多かった。

高速道路を走ったのは、

12月23日に、

第三京浜を保土ケ谷パーキングまで走った、

それ1回きり。

画像

     第三京浜保土ケ谷パーキングにて。2017年12月23日撮影。


いつも以上に悪いことが多かった一方、

いいことは、

いつもどおりにまったくなかった。



思えば、

2016年までは、

それまでの人生が悪いことばかりで、

いいことがまったくなくても、

たとえば何か一つ難関をクリアして、

一息ついたような時、

無意識にではあるが、

次はいいことが起こるような、

そんな気持ちになれたものだった。


また、

ほんのちょっとしたことに、

喜びを感じたりもしてた。


春が来れば、

自分の人生にも春が来るんじゃないかと、

心のどこかで感じてる自分がいた。


バイクで大垂水峠(おおだるみとうげ)に行って、

抜けるような青空の下、

こちらの山から向こうの山へと、

広い谷を渡って流れていく、

小さなちぎれ雲を見ただけで、

その自由な姿に自身を重ね、

自分にも何かできそうな気がして、

希望が湧いてくるのだった。


なぜかわからないけど、

心の奥底に、

“自分はこのままで終わるわけがない”

というような、

何の根拠もない確信めいたものがあって、

それが、

悲観と絶望しかない人生の中で、

ほんのささやかなことに、

喜びや希望を見い出させるのだった。



しかしながら、

2017年になって、

それが変わったのだ。


それまで自分が感じてきた、

ささやかな喜びは、

一種の錯覚みたいなものであり、

自身の境遇がまるでわかってない、

哀れなお人好しだからこそ、

感じていたものなんだとわかった。

同じく、

抱き続けてきた漠然とした希望も、

すべて、

迷妄が作り出す幻覚だとわかった。


すなわち、

自分はこれまでの人生において、

ずっと夢を見てきたんだと。



というわけで、

2017年になって、

ようやく夢から覚めた僕は、

自身これまで無駄に生きてきたことを悟り、

ずっと崖っぷちに立たされていて、

周囲には奈落しかないことを、

知ったのだった。


この覚醒により、

僕はすべてを失い、

もはや、

救いはなくなった。


あとどのくらいかはわからないが、

僕はこの先こうした状態で、

生きなければならないのだ。

寿命が尽きるまでは。




ところで、

僕は、

“人間の寿命は生まれた時から決まっている”

と思ってる。


人間、寿命がくるまでは死なないし、

寿命がくれば、

どんなことをやっても死ぬ。


一方で、

“人間は先のことを予見する能力を持たない。”

だから、

寿命どころか、

1秒先に何が起こるかだって、

知ることができないのだ。

それゆえ、

人生の評価については、

何事も結果でするしかない。


“どうせ運命は決まってるんだし、

自分の力で変えることはできないんだから、

努力などせずに、

適当に生きればいいや”

なんて思って、

結果

不本意な人生をおくった人物がいるとすれば、

その人物は生まれた時から、

そういう考えになって、

そういう人生をおくることになると、

決まっていたことになってしまうのだ。


一方、

自分を信じ、

未来を信じて、

前向きに努力することを怠らなかった人物が、

結果として成功を収めることになれば、

その人物は、

生まれた時から、

成功する運命にあったということになる。


とにかく、

先のことはわからないんだから、

少しでもましな人生にしたかったら、

自分の運を信じて、

死ぬまで努力を続けるしかないのだ。




とはいうものの、

ある程度年をとって、

それまでの人生で、

まったくいいことがなかったとしたら。

悪いことが100で、

いいことが本当にゼロだったとしたら、

いい加減先が読めてしまうよね。


あと100年生きても、

いいことなんて1回もなさそうって、

思えてきちゃうよね。


前向きな気持ちも、

努力する気も失せて、

“なるようになる”

としか、

思えなくなっちゃうよね。


自分がそうだから言うわけじゃないけど、

そりゃしょうがないよ!


人間がステップアップするためには、

そのジャンプ台として、

よいものの蓄積が必要なんだ。

それがなければ、

誰も、何もできない。


高度な感情を持たない動物だって、

挫折が続けば心が折れて、

自暴自棄になったりする。

ましてや人間だもの、

気持ちが前を向かなくなったって、

しょうがないよ。



悲しいかな、

どんなに過酷な人生でも、

生きる意味もなく、

無駄だとわかっていても、

人は、

寿命がくるまでは、

生きていかなければならない。



本当のところは、

選択の自由など、

まったくの幻想にすぎない。

われわれには自由などなく、

ただ何者かのプログラムによって、

生かされているだけなのだ。


それがすべて。


この世において、

常に、

悪が勝利し、

善が滅びゆくさまを見れば、

われわれのプログラマーの、

資質の低さがわかろうというもの。





植木屋

毎年悩まされてきた、

わが家の庭の植木の問題。


親の代から手入れしてもらってた植木屋が、

母が亡くなったあと、

ウチに来なくなったのだ。


近所の家には、

従来どおり毎年11月頃には来るのだが、

ウチにだけ来ない。


しかたなく、

いつも12月に電話して、

正月も過ぎた1月に来てもらっていた。


しかし、

よほどウチに来るのがいやなのだろう。

毎年さまざまないやがらせをされてきたのだ。


倍の料金を請求したり、

その逆に半分しかとらなかったり、

いつもその日に受けとるのに、

何日たってもとりに来なかったり。


こちらで用意したお茶を、

飲まないで帰ろうとしたこともあった。

その時は、

兄貴と違って性格のいい弟にうながされて、

しぶしぶ飲んでいったけど。


とにかく、

いい年をして結婚もせず、

ひとり暮らしをしている僕をバカにしてか、

ウチには来たがらないのだ。


そして今回。

いつものように、

12月半ばに電話したのだが

何回かけても電話に出ず、

やっと出たと思ったら、

娘だか孫娘だか知らないけど、

ひどく無愛想で、

一応用件だけは話したのだが、

なんかいつもと違った感じを受けた。


電話すると、

いきなり、

“オレオレ詐欺犯への警告メッセージ”

みたいなのが流れ、

そのあと呼び出し音に代わるといったふうなのだ。


本来だったら直接本人宅にかかるはずなんだけど、

今回、

隣に住む子供夫婦の家かなにかにかかって、

そこから本人宅に転送されるっていう感じなのだ。


まさか、

毎年今頃かかってくる、

僕からの仕事依頼の電話がいやで、

こんな手のこんだことをしたんだろうか?


結果は案の定、

いまだに返事すらよこさない。

いよいよ今回は、

ウチには来ないことに決めたようだ。


ウチの植木は、

すべてこの植木屋に植えてもらったもの。

自分の植えた植木の面倒がみれないというのだ。



どうしよう・・・

ほかにあてもないし。



せっかく親が植えた木を、

僕の代で、

全部伐ってしまうしかないんだろうか?


植木屋め!

もう70すぎで、

ほんの小遣い稼ぎにやってる仕事だから、

客を選べるってわけか。


ま、

弟の方は性格がいいんだけど、

兄貴の方は性格が悪くて、

昔から近所でも有名だったからな。



それにしても、

何も悪いことをしてない、

僕のような人間が、

身体の不調で苦しみ、

罪もない人間に、

いやがらせをするような悪党が、

元気でピンピンしてるとは。



この罰当たりな植木屋を含め、

善良な人間を苦しめる、

世界中の悪党どもが、

地獄の責め苦にさいなまれるよう、

願わずにはいられない。





ちょっとうれしかったこと

2018年1月4日、

スーパーで、

HKTの森保まどかさんそっくりの美少女に遭遇した。


その日、

いつものようにカゴを持って売り場に入っていくと、

突然、行く手をさえぎるように、

ひとりの若い女性が目の前に飛び出してきた。

僕を見てニコニコしている。

まるで知り合いであるかのように。


見ると、

森保まどかさんそっくりの美少女。


一瞬、

“やばい”って思った。

あまりの美しさに気持ちの動揺が隠せない。

見栄っぱりな僕は、

動揺する心を悟られまいと、

急いで向きを変え、

彼女を無視するように、

足早にその場を去っていった。


しかし、

どうしたわけか、

その後もあちこちの売り場で、

彼女と会うのだった。


彼女はそのたびに、

親しみのこもった笑顔をこちらに向けてくる。


彼氏だか兄貴だか知らないけど、

彼女には男性の連れがいたのだが、

その人物の目を盗むようにして、

こちらに視線を向けてくるのだ。

僕は、そのたびにそっぽを向いて、

無視するような態度をとった。


レジを終え袋づめをすませたあと、

帰ろうとして何気なくふり返ると、

レジのところに並んでいる、

彼女の姿が目に入った。


僕がそちらを見た瞬間、

彼女はあわてて目をそらしたようだった。


そのあわてた様子がなんとも可愛い!


どうやら僕が袋づめをしている間、

後ろからずっと見ていたようだ。


それにしても、

あの笑顔はなんなんだろう?

美しい顔に浮かんだ、

あの天使のように無邪気な微笑みは。

もしかして、

彼女、僕を誰か別の人と勘違いしてた?


一般人じゃないような気がする。

すごくあか抜けてたから。

もしかしたら、

芸能関係の仕事をしているんじゃないだろうか?

全身から放たれるオーラがまぶしくて、

最後まで、

その姿をまともに見ることができなかった。


僕は彼女に対して、

失礼なことをしただろうか?

もしかしたらそうかもしれない。


でも、

あんな輝くような笑顔で見つめられ、

こちらも笑顔で応えるなんて、

とてもじゃないけどできないよ。

まともに彼女を見たら、

身も心も融けちゃいそう。

まるで雪みたいに。



久々に、

心ときめく体験をした。


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その他

元日は、

スーパーで買ってきたおせちを食べた。

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決してうまいもんじゃないね。


冷蔵庫から出したおせちは、

冷たくて、

心まで冷えた。




毎年恒例の袋メンも食べたよ。

一番好きな“サッポロ一番しょうゆ味”。

卵2個入り。

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昔のように、

おいしいとは感じなくなってきた。

食べるのは、

これが最後かも。

ちょうど5個入りのパックが、

全部なくなったし。




2018年1月7日。

バイクで初走り。

画像

     いつもの撮影スポットにて。ここで定点撮影をしている。


いつもの撮影スポットで、

写真を撮ったあと、

田園調布の、

浅間神社(せんげんじんじゃ)のあたりを走ってきた。

画像

     田園調布の浅間神社前にて。






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